当初、パーキンソン病と診断された母親(70歳)の症状は悪化し、転院すると100万人に1人の発病率である「クロイツフェルト・ヤコブ病(プリオン病)」と判明。主治医は「余命3カ月〜2年」と宣告した。30代娘は妊娠していたが、在宅介護を決意。出産後も0歳児を育てながら最愛の母親を懸命に介護している。協力的な夫や父親に感謝しているが、手助けしてくれる親族と息が合わず困惑することも――。
マグカップを手に、窓から外を眺める女性
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前編のあらすじ】関東在住の鈴木広香さん(30代・既婚)は、無口で気難しい父親と働き者の母の間に生まれた。大学で看護師と保健師の資格を取得し、大学病院のNICU、市立病院の脳神経外科、呼吸器外科などで勤務。33歳で、5歳年上の教員の男性と結婚し、マイホームを購入。順風満帆に見えたが、同じ頃、母親の体調に異変が。遠距離介護を始めるも仕事と介護の両立に疲れ果て、両親を呼び寄せる計画を立てた。叔母からの電話により、両親をこのままにしておけないと悟った鈴木さんは、同居の開始時期を前倒しした。

同居後の生活

中部地方の実家に住むパーキンソン病と診断された母親(70歳)。ひとり娘の鈴木広香さん(30代)は妊娠3~4カ月の身重だったにもかかわらず、2021年5月のGW中に、母親だけでなく父親(70歳)も自宅に呼び寄せて同居を開始した。

だが、鈴木さん夫婦は共働き(夫は教員、妻は看護師)で、平日昼間は不在。両親2人と犬だけになる。鈴木さんの両親は、昼食時によく2人で近くのスーパーに総菜を買いに行ったが、母親は欲しい物が分からず、毎回助六寿司を買ってきた。また、スーパーからの帰り道に歩けなくなってしまうことや、目の前が白くボヤーっとする症状がみられ、「白内障の手術をしたい」と言うように。やがて、文字が書けなくなった。

一方、妊娠3〜4カ月だった鈴木さんは、ひどい悪阻つわりに悩まされていた。

「初めての妊娠で不安だらけだったのに、突然母の介護も始まり、当初私の頭の中はパニック状態。先のことまで考えられず、目の前のことをこなすことに必死でした。仕事も忙しく、人手不足から休暇が欲しいとも言えず、体にむちを打って毎日を過ごしていました」

実家を片付けて売りに出す準備もしなくてはならなかったし、母親の通院のために、1〜2週間に一回は中部地方の実家近くにあるかかりつけ医へ母親を連れていかなければならなかった。

6月。母親にパーキンソン病によくみられる、後方突進が目立つようになり、外出できなくなる。後方突進とは、体を後方に押された際に姿勢を立て直すことができず、後方に突進したり転倒したりする姿勢反射障害のひとつだ。さらに、パジャマの着方がわからなくなり、前後ろ逆に着たり、自分のパジャマと娘のパジャマの区別がつかなくなったり。主治医に相談し、薬を増量するが、効果は見られなかった。