60代にして認知症と統合失調症、両方が同時に出たような症状の母親。長男夫婦や長女が懸命の介護を続け、さまざまな医療機関で診察を受けるも、症状は悪化するばかり。疲弊し、「長生きされて誰が困るって、介護している家族。みんなが早く死んでほしいと願っている」状態にまで追い込まれてしまった――。
川のそばを歩く腰の曲がったシニア女性
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【前編のあらすじ】関西出身、関東在住の宮畑修さん(50代・既婚)は、両親と4歳下の弟、6歳下の妹の5人家族。父親は、宮畑さんが14歳の時にがんで死亡。その後は母親が女手一つで子どもたちを養ってきた。宮畑さんが23歳で上京すると、家族とは疎遠に。数十年後の2009年の12月。突然妹から66歳の母親が入院したとの連絡を受け、病院に駆けつけると、母親は別人のようになり、天井を見てヘラヘラ笑っていた。母親を関西の実家に一人で置いておけないと思った宮畑さんは、信州の自宅で介護することを決断。しかし別人のようになった母親は、宮畑さんや妻に、言いたい放題やりたい放題のわがままっぷりを発揮。数日後に妻が疲弊していることに気づくと、宮畑さんは関西の妹にSOSを出した――。

妹のヘルプ

宮畑修さん(仮名・50代・既婚)さんが66歳の母親介護のSOSを出すと、関西在住の妹は、「仕事を辞めて信州に来て、母親の面倒を見てもいい」と言ってくれたが、引き継ぎなどですぐには来られない。そこで妹は、母親の上の妹にあたる叔母に連絡し、自分が信州に行くまでの2週間余り、代わりに母親の面倒を見てくれるよう依頼してくれた。

やがて宮畑さんと娘は単身赴任先の東京へ帰り、再び妻ひとりに。

2010年1月中旬。宮畑さんは信州へ戻り、叔母を迎えに行った。それから約10日間、叔母は信州に滞在し、母親の話し相手や世話をしてくれた。しかし叔母は日を追うごとに疲れがにじみ出てきて、約10日後に宮畑さんの妹と交替する頃には、疲労困憊の状態だった。

仕事を辞め、関西のアパートを引き払って来てくれた妹は、母親の身の回りのことや散歩、入浴などを引き受けてくれた。