関西出身の長男は23歳で上京すると、家族とは疎遠に。約20年後の2009年、66歳の母親が入院したとの連絡を受け、病院に駆けつけると、母親は天井を見てヘラヘラ笑っていた。実家に一人で置いておけないと、自宅に引き取って介護することを決断。しかし母親は、長男夫婦に言いたい放題やりたい放題。妻が疲弊していることに気づくと、宮畑さんは関西の妹にSOSを出した――。
この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないに関わらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。
中学生の時に父親が死亡
関西出身で、現在は関東在住の宮畑修さん(仮名・50代・既婚)。両親は、高度経済成長期の中、父親28歳、母親21歳の時に結婚した。同じ大手家電メーカー勤務の社内結婚だったが、母親は退職して専業主婦に。翌年長男である宮畑さんが生まれ、その4年後に弟、さらに2年後に妹が生まれた。
父親は仕事でほとんど家にいない。長男だった宮畑さんはかろうじて父親に遊んでもらったことや、たまに家族でどこかへ連れて行ってもらった記憶はあるが、妹や弟はほとんどなかった。
それでも両親は、宮畑さんが「夫婦げんかをしているところを一度も見た記憶がない」と言うように、夫婦仲は悪くないようだった。
しかし父親は、宮畑さんが中学2年生の時に、膀胱がんで死亡。母親は工場やスーパーでパートを始めた。幸い夫が勤めていたメーカーでは子どもが未成年のうちに従業員が亡くなると、18歳になるまで会社から養育費が出た。そのため母親は、父親の死後も比較的余裕を持って子育てができたようだ。
やがて宮畑さんは、高校を卒業し、出版社に就職。映像関係の仕事をするようになり、23歳の時にある会社から引き抜かれ、上京。それ以降、お盆と正月は実家に帰省することもあったが、仕事が忙しい時などは何年も帰らない時期があり、家族とは疎遠になっていった。