父親ががんで他界後、母親は自暴自棄になり、パチンコ三昧の日々。ある日、脳梗塞を発症し言葉が出にくくなり右手にまひが残った。長女が献身的に介護をするが、その後、介護施設の不手際で転倒して大腿骨骨折。その病床に子供の頃から自己中心的な性格の長男がやってきて、くどくど訴えたあぜんとする内容とは何だったのか――。(後編/全2回)
力のこもった握り拳
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【前編のあらすじ】関東在住の大木瑠美さん(仮名・50代・独身)には、両親と5歳上の兄がいた。兄は過保護に育てられ自己中心的な性格。両親がいないときを見計らって兄は、大木さんに暴力を振るうようになったが、両親は「子供のけんか」と取り合わない。特に母親は兄をかばい、大木さんのほうが我慢するべきだと言った。兄は大学に進学したが、大木さんは短大進学さえ許されず、1年生の職業訓練校にしか行かせてもらえなかった。やがて父親が67歳でがんにより死亡すると、母親は自暴自棄に。自転車で転倒し、倒れていたところを兄に発見され、救急車を呼ばれた――。

母親が要介護状態に

関東在住の大木瑠美さん(仮名・現在50代・独身)の母親(当時66歳)は、2005年、パチンコからの帰宅途中、坂道を自転車で上る時にバランスを崩して転倒した。なんとか家までたどり着けたものの、トイレを利用した後に倒れて起き上がれなくなり、病院で診てもらうと大腿骨の右側を骨折していた。手術を受けたあと、2カ月半ほど入院することに。保険の外交員の仕事は退職せざるを得なかった。

当時、補聴器班販売の仕事をしていた大木さんは実家から車で30分くらいの場所にあるマンションにひとりで住んでいたが、母親が入院したため、着替えなどを取りに数年ぶりに実家に足を踏み入れた。

その途端、異臭が鼻を突いた。足の踏み場のない台所の床には、袋に入ったままの野菜がいくつも腐り、冷蔵庫ではゴキブリが凍死していたのだ。このすぐ隣のリビングで平気で生活している派遣会社に勤める5歳上の兄の神経が心底信じられなかった。

退院後、母親はパチンコには行かなくなり、歩くときにつえを使うようになっていたが、すっかり父親を亡くした悲しみは癒えたようだ。母親は要支援2と認定されたものの、友人と会ったり趣味の手芸にいそしんだりして、アクティブに過ごすようになっていた。

2014年3月。大木さん(当時40)は、大手企業の契約社員となり、補聴器営業の仕事を開始。その5日後のこと。再び兄が家で倒れている母親を見つけて、救急車を呼んだ。兄から連絡を受けた大木さんは、「(2005年に)父が亡くなって、母まで失うのは嫌だ」と無事を祈りながら病院に駆けつけた。

母親は脳梗塞を起こしており、高次脳機能障害になると医師から説明を受ける。意識が戻った母親は、言われたことは理解しているようだが、言葉が出にくくなっていた。身体的には右手にまひが残り、右腕が使えなくなっていた。

3カ月後に母親は老健(介護老人保健施設)に移ったが、在宅復帰を目的としている老健は約半年で出なくてはならないと説明があり、ケアマネジャーは母親と同居していた兄に在宅介護を打診。すると兄は、「お金もないし、介護もできない」と断ったため、妹の大木さんに話が行く。大木さんは不安を感じながらも、腹をくくって了承した。

「母の介護をすること自体は、私は当然だと思っていましたし、脳梗塞をきっかけに子どもがえりした母のことを心からかわいいと思っていたので、精神的な負担は感じませんでした」

2015年4月。大木さんは自分のマンションに母親を迎え入れた。母親の介護をするようになってからは、朝5時半に起きて、母親の口の中を拭き、トイレに連れていき、オムツやパッドを交換。陰部・臀部の洗浄をしたあと、歯磨きや入れ歯洗浄をし、シャワー浴。

6時半に朝食を作り、7時頃朝食。訪問介護は週3回。デイサービスは週4回利用。大木さんは8時には出勤し、18時半に帰宅。

帰宅後はすぐに夕飯の用意をし、7時半ごろ夕食。8時ごろにはオムツを交換し、母親を寝かせる。その後、24時ごろオムツを交換し、大木さんも就寝。幸い母親は夜しっかり眠ってくれたため、大木さんは睡眠不足に悩まされることはなかった。