現在、50代の女性は30代の頃、父親をがんで亡くした。その後、母親は自暴自棄になり、パチンコ三昧。実家は足の踏み場もないゴミ屋敷と化した。ある日、母親は坂道を自転車で上る時にバランスを崩して転倒。なんとか家までたどり着けたが、トイレ後に再び倒れて起き上がれなくなっていたところを兄に発見され、救急車で病院に搬送された――。(前編/全2回)
この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないにかかわらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。
生真面目な父親と過保護な母
関東在住の大木瑠美さん(仮名・50代・独身)は、製造業に従事する父親と母親の元に生まれた。両親は友達の紹介で出会い、24歳で結婚。翌年に兄が、その5年後に大木さんが生まれた。
父親は、毎日仕事が終わると家へ直行し、20時には必ず家にいた。特に時間にはきちんとしていて、待ち合わせ時間の1時間くらい前には出かけるような非常にまじめな人。ただ、子供にあまり関心がなく、冷淡なところがあった。一方、母親は人を笑わせるのが好きな、明るくひょうきんな人だった。
5歳上の兄は、幼い頃からぜんそくを患っており、それを心配する母親は過保護の傾向があった。そのせいか、大木さんが物心ついたとき、すでに兄は家庭内で王子様のよう。自分がいつも正しいと思っており、自己中心的。誰かのために何かをしようとする気持ちがまったくなかった。
大木さんが3歳になると、母親は保険の外交員の仕事に就き、小学校に上がる頃には、帰宅が遅くなりがちに。すると、両親がいないときを見計らって兄は、妹の大木さんに暴力を奮うようになった。素手でたたいたり足で蹴ったりすることもあれば、掃除機の柄の部分で頭をたたかれ、大きなコブができたことも。
両親に兄の暴力を訴えても、「子どものけんか」と言って取り合わない。特に母親は、兄をかばい、大木さんのほうが我慢するべきだと言ってきかせた。幼いながらも理不尽に感じた大木さんが母親に反抗すると、かえって母親は激昂し、大木さんは鼻血が出るほど殴られたため、以降、兄のことで母親に反抗しなくなった。