暴力的で自己中心的な兄

やがて中学生になった兄は、同級生と廊下でふざけていて突き飛ばされた拍子に転び、頭部を強打。意識を失い、救急搬送されると、1週間ほど国立病院へ入院。幸いなことに意識を取り戻したが、以降、以前に増して暴力的で自己中心的な性格になっていた。

「当時私は小学生だったため、詳しくはわからない部分はありますが、明らかに性格がおかしくなりました。何度か母が、『加害者は幸せに生きているのに』と不満をこぼしていましたが、たぶん頭を強打時の後遺症で兄は脳に血腫瘍ができた、その影響だと思います」

それから数年後のこと。大木さんが高校を卒業し、職業訓練校生になった年末の朝から、母親と兄が口げんかをしていた。兄が、自分のジャケットを脱ぎっぱなしにして片付けないことを、母親が注意したようだ。腹を立てた兄は、なぜか、まだ寝ている大木さんの部屋に突然入ってきて、大木さんの部屋のクローゼットに自分のジャケットをしまおうとし、その際に大木さんが大切にしていたアコースティックギターを投げ捨てた。

大きな物音に飛び起きた大木さんは、大切にしていたギターを投げ捨てられた怒りに震え、兄のジャケットをつかむと、2階の踊り場から1階に向けて投げ捨てた。振り返った瞬間、兄は大木さんの両肩を持って、突き飛ばしていた。

2階から突き飛ばされた大木さんは、そのまま背中から落下。大木さんが1階の床にたたきつけられた衝撃で、1階の床が抜けた。

救急車で搬送されレントゲンを撮ったが、診断は異常なしで、そのまま帰された。ところがその約1週間後、大木さんは体中が痛くてたまらなくなり、帰宅した途端、身動きできなくなる。そこで、たまたま帰宅していた大学生の兄の運転で病院を受診すると、胸椎圧迫骨折が見つかり、即入院が決まった。

人体の胸部の骨格
写真=iStock.com/jitendrajadhav
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このときばかりはさすがに両親は兄を責めた。兄からは謝罪の言葉はあったが、大木さんは、「反省しているようには見えなかった」と話す。

大木さんは5日ほどで退院し、自宅療養することに。痛みでほとんど自分のことができない大木さんは、母親に介助される毎日だった。1カ月半ほどしてようやく少し動けるようになると、友人が毎日のように家に遊びに来てくれるようになった。父親は仕事から帰宅すると、その友人を車に乗せて、友人宅まで送ってくれた。

「今思うと、父が毎晩、友人を家まで送ってくれたのは、父なりの娘への謝罪だったのかもしれません。その後、7年ほど後遺症に悩まされましたが、私は母を悲しませたくなくて、痛いかと聞かれても、『痛くない』と言い張っていました。この事件以来、私は兄と関わらないようになりました」