父親のがん

大学生になった兄は、実家を出て一人暮らしを開始。大学卒業後はIT系の企業に就職したため、両親とは疎遠になる。

高校卒業後、職業訓練校で1年間事務を学んだ大木さんは、外資系の医療機器メーカーに就職。27歳になると、実家から車で30分くらいの場所にマンションを購入し、一人暮らしをスタート。さらに38歳になると医療機器メーカーを退職し、米国に語学留学した。

一方、若い頃からドライブが好きな両親は、父親の60歳の定年後、夫婦でキャンプに出かけるようになっていた。

大木さんファミリーに暗雲が垂れ込め始めたのは2004年のこと。この年の7月、66歳の父親が熱発。異様にトイレが近くなっていたものの、病院嫌いなため「歳のせいだ」と言い張り病院に行かなかった。一向に熱が下がらないため、しぶしぶ病院を受診したが、2カ月経っても病名がわからず、母親が入院を懇願するも、受け入れられなかった。

ところが、病院へ通い始めて3カ月ほどたった頃、熱発の原因は前立腺がんだったことが判明する。通院中の病院への不信感が募った母親が別の病院を探し、国立病院を受診したが、もうすでに手術はできないほどがんは進行していた。

腹部のCT画像
写真=iStock.com/jamesbenet
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「自動車整備士だった父親は、仕事で身体を自然と鍛えているような感じで、若い頃から病気らしい病気をしたことがありませんでした。病院嫌いになったのは、高校生の頃、結核の疑いで1年近く入院させられたのに、結局結核じゃなかったことがあったせいだと聞きました」

緩和ケアに移行した父親は、2005年7月30日、67歳で死去。くしくもその日は母親の誕生日だった。その後、父親の死亡保険金が下りたが、兄はのちに「なぜ、(保険金が)自分のものではないのか」と大騒ぎした(そのことについては後編で詳しく説明する)。