養女に出されたかもしれない過去
兄ばかりが母親からひいきされているにもかかわらず、大木さんが異常なまでに母親を気遣うことが不思議だ。
「母は、あまり私をかわいがりませんでした。私を養女に出そうとしていたようです。子どもの頃の私はばかで、『良い子だから養女に出されるんだ』と思っていました。なぜなら、養女に出す先の候補の一つだったお隣さんが、とてもいい人だったからです。時々、私だけお泊りをさせてもらいましたが、隣のおじさんはお風呂に入れてくれたり、脚の上に私をのせて飛行機をしてくれたり、デパートに連れて行って洋服を買ってくれたりと、父以上にかわいがってくれました」
自営業をしていた隣のおじさんは、日中家にいることも多く、おばさんが作ってくれたお弁当を持って、3人で公園に出かけることもあった。おばさんは家で着物を作る針子の仕事をしており、夕食はいつも手の込んだおいしい手料理を振る舞ってくれた。大木さんは、自分の母親と比較していつも、「母もこれくらいできたらいいのに」と思っていた。
隣のおじさんは大木さんを、「うちの子に迎えたい」と大木さんの両親に懇願。だが、大木さんの父親は拒み、母親は、「大人になってから娘に恨まれたくないから」と言って断ったという。
「母は兄をひいきして育てたとは思っていません。たぶん母自身が育った家庭の影響で男尊女卑みたいな考え方が根付いていて、女の子は我慢、長男は格別に大切にするものだと思っています。そのせいか、母方の親族の男性にはロクな人がいません。母は、兄がおかしな性格になったのは、頭を打ったせいだと思っています」
一方、父親は兄を、「理屈っぽい弱い男だ」と言い、大木さんと兄のことを、「性別が逆に生まれて来れば良かったのに」と言ったことがあるという。
兄は大学に進学したが、大木さんは短大進学さえ許されず、1年制の職業訓練校にしか行かせてもらえなかった。
「母を恨むことは、感覚的に自分にはありません。母は、母なりに私に愛情を与えてくれていましたし、隣のおじさんとおばさんからも愛情をもらえていて、どこかでバランスが取れていたのだと思います」