現在40代の歯科医の女性は小中学生時代、母親の恐怖教育に支配されてきた。勉強を強要され、成績が少しでも落ちると食事抜きで土下座を命じられた。それでも当時、母親を好きだったという女性は「毒親だったと気づいたのは、私が結婚・出産を経て、つい最近のこと。私たち母娘は完全に共依存のいびつな関係でした」と話す――。
床にひざを抱えて丸まる少女
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ある家庭では、ひきこもりの子供を「いない存在」として扱う。ある家庭では、夫の暴力支配が近所に知られないように、家族全員がひた隠しにする。限られた人間しか出入りしない「家庭」という密室では、しばしばタブーが生まれ、誰にも触れられないまま長い年月が過ぎるケースも少なくない。そんな「家庭のタブー」はなぜ生じるのか。どんな家庭にタブーは生まれるのか。具体事例からその成り立ちを探り、発生を防ぐ方法や生じたタブーを破るすべを模索したい。

無関心な父親

関東在住の上地美栗さん(仮名・現在40代・既婚)の両親はいわゆる交際0日婚だった。もともと同じ保険会社に勤めていたが、母親は28歳の時に退社。1歳上の父親はひそかに好意を抱いていた母親の家を突然訪ね、なんとプロポーズ。しかも、母親もそれを承諾するという驚くべき展開で結婚に至った。その1年後に長女、その3年後に次女(上地さん)が誕生した。

交際0日婚の2人は親としては明らかにポンコツだった。

父親は、物心ついたばかりの上地さんが言われたらどんな気持ちになるかろくに考えずに、「本当は、2人目は男の子が良かった」と無邪気に言い放った。生まれてくる子の性別がまだわからない時期に男の子っぽい色やデザインの服ばかり用意していたため、上地さんはしばらく周囲の人からよく男の子に間違われた。

それはまだ序の口だ。上地さんが小2になると、長女と共に母親に連れられ祖母の家へ初めて電車で出かけることに。ウキウキ気分の上地さんに母親は乗車前にこう命じた。

「乗った駅から終点まで、電車に乗っている間に全部の駅を暗記しなさい。覚えられないようなバカはうちの子ではない。終点で置いていくからね」

上地さんは、「置いていかれたらどうしよう」という恐怖で萎縮し、全く頭に入らない。初めての路線で、駅の数はたくさんあったのだから当然のことだ。しかし、「あんたはバカ、うちの子じゃない」と怒り狂った母親は降車駅の改札を出たところで、「ついてくるな!」と長女の手を引いてぐんぐん歩いて上地さんだけを置き去りに。ぽつんとひとり残された上地さんは大声で泣いた。

「電車の乗り方すら知らなかった頃です。周囲の人の視線が刺さっていたたまれない気持ちでしたが、私は泣くしかありませんでした。しかも、母親が“回収”にやってきたのは数十分も経過してから。乗り換えで他の線に乗った時に、『もう一度覚えなさい。じゃないと今度は本当に置いていくから』と言われ、今度は何とか覚えきり、無事祖母の家まで行けました」

翌日も嫌な思いをした。実は前日、上地さんが終点の駅で泣いていたとき、偶然仕事中の父親が通りかかった。ところが、ひとりで泣く姿を知りつつ、「恥ずかしいから無視して通り過ぎた」とニヤニヤしながら話すのだった。

「父は、楽しそうに笑っていました。子供に興味がない。他人に興味がない。だから手を差し伸べない、妻への注意もしない。それが私の父です」

運動会や授業参観などの学校行事にクラスメートの両親は2人そろって来ていたが、上地家は母親が1人。父親は気が向けばふらっと来るくらいで、他の親はわが子と目が合うと微笑んだり手を振ったりするが、上地さんの父親は無反応。自分から声をかけたり、競技に出る娘を応援したりしなかった。