「女性のほうも悪かった」と自己弁護
ストーカー殺人事件はなぜなくならないのか。
2000年にストーカー規制法が成立し、2021年には「EメールやSNSメッセージの連続した送信」や「転送を前提にして空の封筒にGPS機器を入れ、送付して住所を調べる、宅配便を送り受領通知を受けることで行動を把握するといったケース」も処罰の対象にする改正が行われた。
だが、警察には年間2万件、一日50件以上の相談が寄せられ、相談に行かない人を含めると大変な数の被害者がいると思われる。
今年の1月16日夕刻、川野美樹さん(当時38歳)が、JR博多駅前の路上で頭や胸など10カ所を刺され、帰らぬ人となってしまった。
週刊文春(2月2日号、以下文春)は、なぜこの事件が起きてしまったのかを詳細に報じているので見てみたい。
川野さんは福岡県那珂川市の会社員で、11歳の娘を持つシングルマザーだった。
事件から2日後に逮捕されたのは元交際相手の飲食店店員・寺内進容疑者(31)。
「寺内は『復縁を求めたが、かなわずに刺した』と動機を語る一方、『女性のほうも悪かった』と自己を正当化する供述をしている」(社会部記者)
文春によれば、川野さんは愛知県名古屋市に生まれたが、彼女が幼い頃に両親が離婚して、女手一つで育てられたそうだ。
母親は自宅でエステ店を開き、彼女は歌が上手くて評判の美少女だった。
名門アクターズスクールに入所するも…
中学生になると、
「安室ちゃんみたいに、歌って踊れるアーティストになりたい」
という夢を持つ。友人の前で安室奈美恵の『CAN YOU CELEBRATE?』を歌うと拍手喝采されたという。
そんな彼女が、沖縄のアクターズスクールに入学したいと思うようになるのは必然だった。
中学卒業後、単身で安室奈美恵やSPEEDを輩出した念願のアクターズスクールに入った。
「恩納村のムーンビーチにあった、アクターズスクール系のインターナショナル・スクール『ドリームプラネット』に通いながら日々、レッスンを受けていました。
同期は三十~五十人。美樹ちゃんは県外から来ているだけあって、エネルギーとやる気に満ち溢れ、いつも輪の中心にいた。仲間思いで誰からも慕われ、人気者でしたね」(当時の恩師)
同じ志を持った仲間と、休日は北谷町や名護市に遊びに出かけ、夢を語り合った。だが、1年余りスクールに通ったが、歌手デビューすることは叶わなかった。
歌手になる夢を諦めて、彼女が向かった先は東京だった。
下町にある家賃約6万円の単身者用マンションから、東京の狭い空を見上げて何を思ったのだろう。
「東京への憧れも強かったのでしょう。といっても働き口はなく、当時はキャバクラで働いて生計を立てていました。美人なので人気があり、彼氏にも困らなかった」(名古屋時代の知人)
母親は福岡県出身の男性と再婚して、名古屋を離れ福岡で暮らし始めたが、その結婚生活は楽ではなかったという。