派手な服装で暴れたり大声を出したりする一部参加者が毎年現れる成人式。なぜ顰蹙を買うような行動をするのか。現役教員の松尾英明さんは「彼らの行動は、『自分はここにいるよ! 見て!』という存在の承認欲求。彼らはいわば学校教育の“被害者”で、成人式は学校教育の“失敗”の縮図です」という――。
成人式で騒ぐ若者
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「荒れる成人式」がなくならない根本理由

成人式が荒れる……この時期になると毎年騒がれるニュースである。

リーゼントに奇抜な袴姿や特攻服といったいで立ちで成人式会場に乗り込み、飲酒して仲間とバカ騒ぎ……。やんちゃの度が過ぎて、時には逮捕者も出る。

なぜ、そうした顰蹙を買うような行動をするのか。結論から言えば、彼ら彼女らは学校教育の「被害者」なのである。昨年上梓した『不親切教師のススメ』(さくら社)でも書いた通り、「乱暴な子」と言われる子供たちには、それぞれがその行動をとるれっきとした理由がある。

成人を迎えても大声や乱暴な言動をする根本にあるもの、それは不安や恐怖心である。どの学校でも、やたらと大声で叫んだり暴れたりする児童・生徒がいるが、これも同じ理由であることが多い(別の発達課題を抱えていることもあり、原因の見極めは慎重を要する)。「ここにいるよ! 見て!」という存在の承認欲求である。

つまり彼ら彼女らは、ありのままの自分では社会に受け入れてもらえないと繰り返し学習してきているからこそ、大暴れして派手なパフォーマンスをしているのである。

これは幼児の「ねーねー、見て見て!」と親に言うのと似ているが、根っこが全く違う。幼児の場合、大好きな親や先生に見てもらいたいというポジティブな感情である。青年期以降にこれが激しく出る場合、承認欲求の根っこに不安感がある。SNS上で自分の発信したメッセージに「いいね!」が付かないと不安になる感覚と似ているかもしれない。

言い換えれば、成人式で暴れるという行為は、真っ当に「いいね!」がもらえないなら、「悪いね!」がたくさんもらえばいいという思考回路の結果である。「目立った」=「すごい」「存在価値を認められた」という構造である。

社会的に見ても完全に誤りなのであるが、彼らからすれば、テレビやネットニュースで「大馬鹿者」として大々的に取り上げてもらえば「大成功」である。