※本稿は、伊藤真『考える練習』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。
司法試験で「合格なんか考えるな」という理由
自分の考えがいまひとつはっきりしなかったり、その答えでいいのかどうかわからなかったりするときは、荒療治の方法がある。それは、「自分の考えを極端なまでに徹底させる」というものだ。あえて極端まで突っ走ると、はっきりしなかった「本質」が見えてくることがあるのだ。
私が最近、あえて「立憲主義」という言葉を使っているのも、その一例である。
立憲主義とはきわめて多義的な言葉で、学問的にいうと定義が難しいのだが、私は「要するに憲法で国を縛ることだ」と極論で言い切っている。すると、現代は国王はいないのだから、憲法で縛られるのは誰かという疑問が生まれ、つまり憲法は国民が国を縛るための法、という本質が見えてくる。
伊藤塾では、司法試験においても、「合格なんか考えるな、合格後を考えろ」と指導している。合格するために塾で勉強しているのに、「合格なんか考えるな」と言われると、塾生は「あれっ?」と思う。なぜそんな言い方をするのかと考えるきっかけになるだろう。
極端な意見は「考える練習」の入り口
「憲法は法律ではありません。だから国民には憲法を守る義務なんかありません」と言えば、国民も「あれっ?」と思うはずだ。なぜそんなことを言うのだろうと疑問に思ったり、関心を持ったりするので、「憲法を守る義務があるのは、国民ではなく国である」という本質に到達しやすくなる。
「あれっ?」と思うほどの極端な意見にふれることが「考える練習」の入り口になる。
自分で考えるときも、よけいなものをそぎとって、何か本質をいいあらわす言葉を考えて、あえて極端に言ってみるのもいい。
そのためにおすすめしたいのは、「キャッチコピーを考えること」だ。
キャッチコピーを考えるには、本質がわかっていなければならない。本質を可視化する、言語化するということがコピーを考えることだから、コピーを考えるのは本質に近づく行為そのものである。
ああでもない、こうでもない、と言葉を探していく過程が、本質に迫る過程でもあり、「考える練習」の筋トレでもある。そしてその本質が何かをはっきりさせるには、極端に走るという荒療治の技術が効果的なことがあるのだ。
荒療治だから、筋トレでいえば、かなりきつい部類のものになる。だからこそとぎすまされた言葉を探すのは、頭の訓練になる。
「私は一五〇歳まで生きる」とか「国民には憲法を守る義務はない」とか、とにかく極端な言い方をしてみよう。そして、その自分の言葉に「本当かな」ともう一人の自分が疑問を投げかけ、自分の中で議論、討論しながら、考えを深めていく。その過程で考えが深まっていき、考える力が鍛えられていくのである。