12人が処分を受ける前代未聞の事態に
清水記者は、小松が池袋の性風俗店のオーナーであることを突き止め、実行犯も特定して撮影することに成功する。それらの情報を上尾署に伝えるが、動かない。
ようやく警察が動いて共犯者3人を逮捕したのは撮影してから3週間がたってからだった。主犯の小松は翌年の1月、道東の屈斜路湖で自殺体として発見された。
しかし、それだけでは終わらなかった。警察は告訴を取り下げるよういってきただけではなく、捜査や報告義務が必要になる「告訴状」を、面倒なために「被害届」に改竄していたことまで明るみに出たのである。
新聞、テレビはその間、警察から情報をもらって、彼らのいいなりに嘘情報を垂れ流していた。
「結局、改竄に関わった警察官三人は懲戒免職となり、虚偽公文書作成などの容疑で刑事責任も問われることになった。また、県警本部長を含む十二人が処分を受けるという前代未聞の事態となった」(清水潔『騙されてたまるか 調査報道の裏側』新潮新書)
これは調査報道の「金字塔」としていまだに語り継がれている。
尊い命が失われたことをきっかけにできたのがストーカー規制法である。
この法律ができたために思わぬ副作用もあった。週刊誌の記者たちは取材者を追いかけ回したり、家の周りをうろうろできなくなったりしてしまったのだ。相手がストーカーだと警察に訴えれば、排除されてしまうからである。
法律があれば犯罪がなくなると錯覚しているのか
この規制法、何度も改正もしてきているが、ストーカー殺人を根絶するところまでいかないのはなぜなのだろう。
私は、警察がいまだに民事不介入のしっぽを残し、ストーカーもそうだが、家庭内の子どものDV被害にも消極的だからではないかと考えている。
それに、私の住んでいるような下町でも、警察官の巡回が少なくなったと感じている。
国家防衛という名目でテロ対策のような大犯罪に人を割かれ、昔のように「おまわりさん」として、近所を回って年寄りと話し込むというような余裕がないのであろう。
おまわりさんから警察官。そのうち特高警察となるのではないかと危惧している。ストーカーのような犯罪は、被害者に寄り添って、親身になってやらなければ、被害を防ぐことはできない。
法律だけ作れば犯罪がなくなるとでも錯覚しているのではないか。今度の事件を機に、いま一度原点に返り、ストーカー被害者を救うために何ができるのか、警察やメディアが共に、真剣に考えるべきだと、私は思う。