ストーカー規制法のきっかけになった「桶川事件」

こうして見てくると、相手が一方的に好意を持ち、ストーカー行為をしてくると、女性の側(男性の場合もあるが)は、周囲に彼女を守ってくれる人間や、まれに、親身になってくれる警察官に出会えないと、自分の身を守ることは不可能かもしれないと思えてくる。

よくいわれることだが、法的な対応だけではなく、臨床心理士の面談などを通して加害者の心の問題にもアプローチしないと、根本的な解決にはならない。

しかし、今回の事件の寺内容疑者のように、粗暴で独占欲の強い人間が相手では、決め手になるとは思えない。

女性に対する家庭内暴力の男は拳の黒と白のイメージを握りしめた
写真=iStock.com/Paul Gorvett
※写真はイメージです

よく知られているように、ストーカー規制法ができたきっかけは、埼玉県桶川市で起きた女子大生殺人事件だった。

1999年10月に女子大生の猪野詩織さん(当時21歳)がJR高崎線桶川駅前で刺殺されるという事件が起きた。

当時写真週刊誌FOCUSの記者だった清水潔さんは、偶然、取材中に詩織さんと親しかった友人2人と知り合った。

2人から「詩織は小松(犯人)と警察に殺された」と聞き、詩織さんは「私が殺されたら犯人は小松」という遺言を残していたことを知る。

詩織さんは、小松(最初は偽名)とゲーセンで知り合い、付き合うようになった。自称青年実業家の小松は、高価なものをプレゼントしてくれた。

別れを切り出すと「徹底的にお前を潰す」

だが、そのうち態度が怪しくなり、「プレゼントの代金を払え、払えないならソープに行って働いて金を稼げ」と脅すようになった。

詩織さんは別れてほしいと何度も切り出したが、「別れるというのなら、徹底的にお前を叩き潰す」といい出し、見知らぬ男たちに尾行され、2人組が家に乗り込んできたこともあった。

家族と話し合った結果、埼玉県警上尾警察署に出向いて、相談する。だが刑事たちは、「これは事件にならない」「男と女の問題だから警察は立ち入れない」というばかり。

警察が何もしてくれないうちに事態は悪化していく。都内で彼女の写真入りのカードがバラまかれた。そこには「援助交際OK」と彼女の自宅の電話番号が書かれていた。

父親の会社に、根も葉もない中傷の匿名手紙が千通も送られてきた。そこで詩織さんは、このままでは殺されると思い立ち、警察に動いてもらうために刑事告訴することを決意する。だが警察は動かないばかりか、驚くことに、彼女の家に刑事が来て、「告訴を取り下げてほしい」といったのである。

そして惨劇が起こった。