「話し合いが苦手」と感じる人が多いのはなぜか。立教大学の中原淳教授は「『やらされ感』の漂う会議、何も決まらない打ち合わせ、沈黙だけが支配する学級会、紛糾する委員会。話し合いに対する人々の『絶望』が深まっている。その原因は、心理的安全性の低さにある」という――。

※本稿は、中原淳『話し合いの作法』(PHPビジネス新書)の一部を再編集したものです。

オフィスで働く3人のビジネスウーマン
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話し合いが「瀕死」の状態に陥っている

「話し合いは、面倒くさい」
「話し合っても、何も決まらない」
「話し合いは、時間の無駄だ」

このような「あきらめ」が、社会全体に広がっているような気がするのです。あなたの学校や会社で、話し合いは今や「瀕死」の状態にありませんか。

「やらされ感」の漂う会議、何も決まらない打ち合わせ、沈黙だけが支配する学級会、紛糾する委員会。話し合いに対する人々の「絶望」が深まっています。

一方で、話し合いの大切さや意義が、これほどまでに認識されはじめている時代も、ありません。

社会には分断や争いが増え、不確実性が増す中で、それでも物事を決めなければならない局面が増えました。そう簡単にわかり合えない隣人と、それにもかかわらず妥協点を見出しながら、話し合いを交え、生きていかなければならない状況も生まれています。話し合いは、多様な人々がこの世に生を受け、他の人々と「ともに」生きるための知恵でもあります。

私たちは、話し合いがあるからこそ、さまざまな葛藤や矛盾を乗り越え、多様な人々と共生し、ときには協力し合い、独力では達成できないことすら達成できるのです。一見、絶望のようにしか感じられなかった話し合いの「その先」には「ささやかな希望」があります。

しかしながら、日本のビジネスパーソンも学生も皆、「話し合いが苦手」です。我が国において人々がなぜ話し合いが苦手になってしまうのか、これに影響を与える風土、慣習について深掘りしてみることにしましょう。その理由は多々あるとは思いますが、代表的な理由について述べていきたいと思います。