「言葉にすること」を恐れてはいけない
私たちは、アメリカやヨーロッパなどに比べれば人種や文化がそれほど多様でない島国に生まれて、過ごしてきました。価値観が似ている人が多いので、あうんの呼吸でコミュニケーションがしやすく、空気を読むというような「察するコミュニケーション」が大の得意です。そのため、話し合わなくても理解しようとすることをよしとし、話し合いを持つことを「野暮」、あるいは「空気を読まない行為」と考える人が少なくありません。
かくして、「言葉にするよりも感じること」「言葉よりも察すること」が重要視されてしまう傾向もあります。しかし、それだけではうまくいかない時代に、我々は突入しているのです。