「部下は叱らないとわからない」「苦しみを味わわないと成長できない」と思っている管理職は少なくないが、それは幻想かもしれない。経営学者の中原淳さんと、臨床心理士の村中直人さんが、職場の「苦痛神話」について語る――。

※本稿は、村中直人『「叱れば人は育つ」は幻想』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

「叱る」の周辺に渦巻くイリュージョン

【村中】私は「叱る」ことを全面否定しているわけではないのですが、ただ、職場においては「叱る」必要性はほぼ存在しないと考えています。ですが、ネットなどでよく、「上手な部下の叱り方」とか「部下を伸ばす叱り方」のような文脈の記事を見かけます。これは、部下を「叱る」ことは必要だという認識が当たり前のこととしてあるから出てくる発想ではないかと、いささか釈然としないものを感じているんですね。そのあたり中原先生はどんなふうにお感じになっていますか?

【中原】この国の文化的土壌として、「叱ることで人は変わるんだ」とか、「厳しくして発奮させれば人は伸びるんだ」といったメンタリティがあるんだと思うんですよ。僕はこれらを「イリュージョン」と呼んでいますが。

【村中】イリュージョン、つまり幻想、幻影、錯覚のようなもの。

【中原】はい。村中さんが本でお書きになっているように、「叱る」ことでは人はいい方向には変わらない。けれども、「叱る」の周辺にはさまざまなイリュージョンがあって、「叱らないとわからないんだ」とかたくなに思い込んでいる人たちが少なくない。いや、大多数がそうだと言ってもいいかもしれません。

会議中に一人悩んでいる男性
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【村中】日本の社会にはその傾向が非常に根深くありますね。「人は苦痛を耐えて乗り越えることで成長する」「苦しみを味わわないと成長できない」という思い込みを、私は「苦痛神話」と表現しています。誰かから苦痛を味わうような状況を理不尽に強いられても、その先にはいわゆる学習性無力感しか待っていません。自発的に動いて状況を変えていこうという意欲は奪われて、あきらめと無気力だけが支配するようになってしまいます。