「叱る」ことは必要か否か。臨床心理士の村中直人さんは「子どもや生徒、部下を叱責すると一時的には行動を改めるが、本当の成長にはつながらない」という。その理由を脳科学の点から読み解く――。

※本稿は、村中直人『「叱れば人は育つ」は幻想』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

すばらしい親でも「叱らずにいられない」

「怒るのはダメだが、叱ることは必要」
「叱られたことがない人は、打たれ弱い人になってしまう」
「ちゃんと叱らないと、伝わらないし学ばない」

皆さんは、こういった言説についてどのように思われますか?

これらのセリフは、日本中至る所で言われているので、耳にしたことがない方はおそらくいないでしょう。もしかしたらご自身が日常的に口にしている、という方も少なくないかもしれません。

私自身もかつては、これらの言葉を「まあ、そういうものだろう」くらいに思っていました。しかし、さまざまな経験をするなかで、「叱る」にまつわるこれらの言説に疑問をもつようになりました。

学校でしかられている二人の男児
写真=iStock.com/track5
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私は以前、「あすはな先生」と名づけた学習支援事業で、コーディネーターとして保護者との面談や家庭教師のアテンドを行っていました(ちなみにこの事業は、そのときの後輩が事業責任者となり、教室型の支援も加えていまも継続しています)。

そのなかで「叱る」という行為について、深く考えさせられることになりました。

私が幸運だったのは、「家庭教師事業」という枠組みのなかでこの問題に関われたことです。私たちは事業として、授業料を保護者の方々にお支払いいただくことで運営をしています。当時は、まったく無名の若手心理士が何の後ろ盾もなく始めた新しい事業です。つまり、私たちのところに来てくださる保護者は、情報感度のとても高い勉強家の方たちで、子どものためになんとかよい環境を整えようとする深い愛情と行動力の持ち主ばかりだったのです。サービス提供開始前には必ず保護者の方と面談をするのですが、なんてすばらしい保護者だろうと感嘆したことが何度もあったことを覚えています。

けれど、そんな保護者でも「叱らずにはいられない」のです。

自分の意志ではもう、過度な叱責が止まらなくなっているように思える事例に、私はそこで何度も出合いました。子どもが泣き出して明らかに混乱状態になっていても叱りつづけ、それでも「状況が好転しない」とずっとため息をついておられる。そんな状況が珍しくなかったのです。

この問題は、保護者の能力の問題ではないし、知性の問題でも、ましてや愛情の問題でもありません。なぜならそれらをすべて兼ね備えた、本当にすばらしい保護者の方でも陥ってしまう場合があるからです。

子どもたちの側に目を転じると、子どもたちは家庭内だけでなく、あらゆる場面で叱られ続けていました。学校では先生に叱られ、塾では講師に、福祉施設では職員に叱られます。それだけ叱られても、「叱る」という行為は何も問題解決に役に立っていませんでした。

問題はそのままに、そこにはただただ「叱らずにはいられない」大人たちと、「叱られつづける」子どもたちがいるように私には思えたのです。