日本人が好きな歴史上の人物の一人が織田信長だ。うつけもの、戦術の天才、残酷非道などさまざまなイメージのある信長は、一体どんな人物だったのか。歴史小説家の杉本苑子さんと永井路子さんの共著『ごめんあそばせ 独断日本史』(朝日文庫)より、2人の対談を紹介する――。

乱世を生きた「ひっくり返し人間」

【永井】ところで、信長、家康、秀吉、どの男性がお好きでいらっしゃいますか。どなたと結婚なさりたいでしょうか。

【杉本】いやだあ、みんな願いさげだわ。(笑)

【永井】ゾッとしないわね、本当に。

【杉本】だけど、いみじくも時代が求めた人物が出るべくして出てきたといえるわね。旧態の否定が求められた時期には、ひっくり返し人間の、「鳴かぬなら殺してしまえ時鳥ほととぎす」という男。収拾期にさしかかったときには「鳴かしてみしょう」が出、いよいよ完成期、ある程度、保守に逆もどりの必要ありという時期になると「鳴くまで待とう」が出てくるというのは、まるで時代の意思のようね。

【永井】ほんと。

【杉本】彼らは同世代といってもよい人間なんだから、やっぱり時代という波のうねりに応じて、それぞれの特質を現わしたということでしょうね。

信長のような速攻は家康にはできない

【永井】そうなのね。家康がトップを切ったってうまくいかないと思う。あんなに考え込んでいたらね。

織田信長像〈狩野元秀筆〉(図版=東京大学史料編纂所/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
織田信長像〈狩野元秀筆〉(図版=東京大学史料編纂所/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

【杉本】桶狭間合戦みたいな一六いちろく勝負に打って出るなんて決断はできないわよ。でも家康もあの時は、彼にしては一世一代といってよいほど機敏な行動に出たじゃない? 最前線にいて、今川義元が討たれたと知ったとたん、急遽三河へ逃げ帰って独立してしまった。でもあれは背後からガッと押されたから飛び出したようなもので、いわばトコロテン式決断。(笑)

【永井】そうね。

【杉本】信長のように「死のうは一定いちじょう」なんてひとさし舞って敵の本陣を一気に突くような速攻は、家康ではちょっと無理。

【永井】家康は三方ヶ原で武田信玄にさんざんにやられちゃう。

【杉本】あの、三方ヶ原合戦という生涯最初の大合戦に負けたことで、慎重居士がいっそう慎重になっちゃった。三番バッターであっても、ともかく家康が登場できたのは、彼の努力にもよるけど、基本的には時代が変わったからよ。