名古屋のごく一部を支配する小大名の長男
【永井】だけど私、信長はちょっと誤解されているところがあると思う。信長が、勝算はないけど一か八かやってみたというのは、桶狭間の戦いしかやってない。
【杉本】桶狭間だって、積極的に斬り込んだように見えるけど、彼の心情からすると受身ね。
【永井】待っていれば殺されるから、自分の方が地理に明るいのを利用して、間道を行って奇襲してみたら、うまくいったという話であって……。
【杉本】賽を振る直前、「ひとたび生を得て、滅せぬもののあるべきか」なんて謡ったのも半分はヤケよ。
【永井】織田家なんて、本当に小さな大名でしょう。
【杉本】もともとは尾張の守護斯波氏の執事。それがまた二家に分かれた一方の、清洲の織田の三奉行の一人という系譜だから。
【永井】名古屋のごく一部、いまの千種区から中区あたりを支配していただけでしょう。父親の信秀がそれほどの歳でもないのに死んじゃったとき、信長はまだ青年で支城の那古屋城を預っているにすぎない。父親が住んでいた末森城には弟の信行がいて、これが優等生。
【杉本】いい子ぶりっ子。
父親の仏前へ抹香を投げつけた“真意”
【永井】お母さんにかわいがられて、臣下の受けも非常にいい。父親がわりの傅役の平手政秀の息子まで信行贔屓だった。それが末森城の本拠にいるわけだから、自然跡継ぎみたいな形になって、支店を預った信長は出向を命じられたまま帰ることができなくなっている。だから、信長が信秀の葬式のときに、奇矯な振舞いをしたというけど、これにはワケがあるのよ。
【杉本】抹香をつかんで仏前へ投げつけたというのは織田信秀の葬式の時だったかな。
【永井】太刀・脇差を縄で巻いて、髪は茶筅髷、袴もはかず、というけど……。
【杉本】あれ、何に書いてあったんだっけ。
【永井】『信長公記』よ。
【杉本】『信長公記』じゃ全面的には信用置けないな。
【永井】なぜ信長がそんなことをしたかというと、喪主であって然るべき長男の自分をさしおいて弟の信行が喪主であるかのように……。
【杉本】素襖長袴。言ってみればダークスーツを着て、名刺受けを並べ、香典を受け取って。(笑)
【永井】ところが長男の信長には葬儀の通知もしていない。だからもう怒り狂って、あんな恰好で乗りこんだ。