「すぐキレる上司」ではなく我慢の男
【杉本】信長は、家康接待の折、魚が腐っていると怒って、責任者の明智光秀を蹴倒したうえ解任してしまったとか、二条城の工事現場を巡察していたとき、ふざけてかぶりものの下から女の顔を覗こうとした部下を即座に手打ちにしたとか、すぐ激発する短気な男と見られているけど、私は、案外深謀遠慮の人だったと思う。ものすごく長期的な手を打つ人よ。
【永井】私もそう思う。それに、わりと我慢する人よ。
【杉本】10年、20年先を読んで素人には無駄に見えるような手を打っている。その意味では頭がいいわね。
【永井】信長の妹でお犬さんという娘がいるわね。尾張大野の佐治為興に嫁いでいるの。以前そこへ小説のための取材に行ったことがあるんだけど、たった五万石の小さな大名よ。何でだろうと思ったら、佐治氏は水軍を持っているの。
【杉本】そういうところが実に抜け目ないのよ。
【永井】だから激情家でもなければ単細胞でもなくて、非常に綿密に考えてやっている。
【杉本】怒ってすぐ家来を罰したとかいうけど、そうすることで一気に士気のたるみを引きしめるとか、人心を収攬するといった効果を計算して斬っている。単純な衝動ではない。
焼討ちは「日本の癌」を排除するためだった
【永井】荒木村重の謀叛に対しても、松井友閑、万見重元をやって説得し、それで駄目だと光秀や秀吉にまで慰留させている。私は信長に対しては認識を改めてほしいと思うわ。
【杉本】高山右近の場合は宣教師に説得させて、成功しているわね。
【永井】そう。日本人は信長のつまらないところを褒めて、大事なことは評価しない傾向がある。
【杉本】評価しないというより、信長という人物を全人間的スケールで把握していないのよ。たいていの人が……。
【永井】比叡山の焼討ちで、社寺堂塔500余棟を焼き尽くし、3千人の首を切ったというのはウソで発掘しても焼跡は発見されないそうだけれど、叡山を押えこんだことは、歴史的に見ると私は最も大事だったと思う。
【杉本】そうよ、叡山の存在はあの時点では、もはや日本の癌だもの。切除しなきゃ本当の意味の「近代化」はできない。
【永井】中世的な寺社勢に、一応ピリオドを打ったのよね。