※本稿は、橘さつき『絶縁家族 終焉のとき 試される「家族」の絆』(さくら舎)の一部を再編集したものです。
出産予定日に実母から届いた“呪いの手紙”
家族の綻びはまさかのことで始まり、あっという間に家族を崩壊していく。母の攻撃は突然、私が第一子を産む臨月に始まった。
兄には授からない子を私が産むことが家族の憎悪を買ってしまったのだ。兄は35歳、私は31歳の時のことだった。両親が長男である兄の子を切望しているのは知っていたが、私は私、兄には兄の人生がある。
こうしたきょうだい間の違いはどこの家庭でもありそうなことだが、両親と兄は私に突然、憎悪を向けてきたのだった。
母親にとって娘の出産ほど幸せなものはないというのは本当だと、娘を持って実感するが、私の母は違った。
臨月に入って、胎児との対面を待ち望む私の幸せそうな姿が母の憎悪に火をつけてしまったのだった。出産予定日には、母から「死産を予言する」呪いの手紙が届けられた。
私は2歳違いで三人の子どもを産んでいるが、出産予定日に母から「死産予言」の呪いの手紙をもらわずに産めたのは次男だけである。なぜなら、両親に隠れて産み、誕生も知らせなかったからだ。
同じ町に住みながら、身を守るために必死で隠し通した。
「なぜ、お前はこの家の跡取りになりたがる?」
内孫を望む両親は外孫の誕生を憎んだのだ。世間はまさか、孫を産んだがために我が子と絶縁する親がいるなんて、想像もしないだろう。
長男を無事に産むと、親から家への出入りを禁じられ、絶縁を言い渡されたのである。
「なぜ、お前はこの家の跡取りになりたがる? この家の跡取りは○○(兄の名)だ!」
これが、長男が誕生したとき、私が親に言われた言葉だった。私は嫁いだ夫の姓を名乗っていて、兄も私も家業を継いでいないのにもかかわらず。
狂気の乱に、まともな理由なんていらない。ただ剥き出しの感情をぶつけてくる、私の両親だった。母の毒に染まっていくかのように、父も兄も母に従い、私を孤立させることに異議を唱える者は、誰一人いなかった。