新型コロナウイルスの感染拡大を理由に、修学旅行の中止や延期が相次いでいる。文筆家の御田寺圭さんは「TikTokは中高生の嘆きで溢れている。『コロナ対策』としてあっさり中止を決めているようだが、その影響は残り続けるだろう」という――。
携帯電話を操作するために教室に隠れている日本の中学生
写真=iStock.com/kazuma seki
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TikTokに溢れる中高生の阿鼻叫喚

新型コロナウイルス「オミクロン株」の急拡大を受け、全国では中高生の修学旅行の中止など、各種行事の取りやめや縮小開催が相次いでいる。

それを受けて、若者たちがいまもっとも活発に利用してコミュニケーションをとっているSNSである「TikTok」では、まさしく「阿鼻叫喚」としか言いようがない光景が広がっている。修学旅行の縮小、延期、旅程変更を我慢した末につきつけられた「中止」の二文字――泣き崩れたり、怒りをあらわにしたりする中高生の姿がそこかしこに映し出されていた。

かれらの心痛は想像に余りある。現時点でも数多くの投稿があり、毎日のように追加されている。本来ならばここで動画を埋め込み、若者たちの姿を読者の皆さんに直接ご紹介したいところだ。しかしかれらが悲しみの涙を流す姿を不特定多数の見るメディアでことわりなく公開するのはしのびない。気になる人はご自身でTikTokのアカウントを取得して「修学旅行中止」などのキーワードで探してみるとよいだろう。いや、この機会に、ぜひそうしてもらいたい。

TikTokはもっぱら中高生が活発に利用しており、中高年層がTwitterやFacebookを活用するように、ある種のコミュニケーションツールとして利用している。大人世代の多くはアカウントを持ってすらいないので、TikTokにて現在進行形で拡散している若者たちの悲痛な声を目にする機会がない。

どこか他人事な大人たちの反応

私は若者たちがTikTokで悲嘆の声をあげていることについて、ツイッターで言及した。その報告は大きな驚きをもって迎えられた。若者たちの悲しみに心を寄せる同情的な言及も多くみられた一方、どこか他人事、もっといえば冷淡ともいえる反応も少なくはなかった。

「恨むならウイルスを蔓延させた国を恨め」
「学校が楽しい陽キャが残念がっているだけだ」
「旅行に行きたいならなにも修学旅行でなくて個人的に行けばいい」
「祖父母を間接的に殺さないで済むのだからそれくらい我慢しろ」

TikTokで展開される当事者たちの訴えに対して、Twitterではまるで異なる意見が噴出する様子を見るに、ひとつのSNSだけを通して「世の中の空気」をわかったつもりになることが、いかに危険な認知的偏りを生むのか、改めて思い知らされた。

実社会ではいまもなお「なにはともあれ自粛して感染を抑制することこそが最善の策」という社会的合意が――さすがに自粛が一切のデメリットもない絶対の正解であるとする見方にはわずかずつ陰りが見えつつあるものの――いまだ支配的である。そのため、若者が「修学旅行に行きたい」と訴えることそれ自体を(炎上してしまう)リスクに感じて黙ってしまうのも無理はない。選挙権もなければ、世に自らの情況を大々的に訴えるすべもないかれらは、TikTokという同世代がアクティブに利用する空間でせいぜいお互いの傷を慰め合うことしかできない。