※本稿は、マデリン・チャップマン『ニュージーランド アーダーン首相 世界を動かす共感力』(集英社インターナショナル)の一部を再編集したものです。
自主的ではなく、まわりから推されてリーダーに
ジャシンダ・アーダーンは首相にはなりたくなかった。そんなことは考えてもいなかったのに、突然、七週間先に首相になるかもしれないという可能性が出てきた。
ニュージーランドの政治ライターのあいだでは広く信じられていることだが、国会議員のだれもが首相になりたいと考えているし、なりたくないという議員がいれば、その人は嘘つきだ。
しかし、アーダーンが首相になりたくないと何度も繰りかえすうち、人々はそれを本心だと信じるようになった。首相になりたくないというだけでなく、組織の中の昇格そのものを望んでいないようだった。
IUSY(国際社会主義青年同盟)のリーダーだったアーダーンが労働党から議員に立候補し、副党首になり、党首になった流れは驚くべきものだったが、どの段階でも自分から望んでそうしたのではなく、まわりから要請されてのことだったし、その要請も一度だけではなく、何度も頼まれてようやく受け入れたという場合がほとんどだ。
自分がリーダーになりたかったのではなく、まわりがアーダーンにリーダーになってほしかったということだ。つまりしぶしぶリーダーの役割を果たしているだけなのか、とききたくなるが、そうではない。
アーダーンは首相という役割をすんなり受け入れた。渋っていたどころか、前からやりたいと思っていたのではないか、いいタイミングを待っていただけなのではないか、と思うほどに。
ひたすら他人のためになることをする
アーダーンは、多くの労働党の政治家たちが乗りこえられなかった障害を乗りこえた。成功の鍵は、自分が鏡になること。相手の身になってものを考えることで、出会った人々は心配ごとや困っていることを話してくれる。アーダーンはそれを理解し、援助の手を差しのべる。
アーダーンが国会議員になる前はなにをしていたと思うか、若い頃にいちばん苦労したのはなんだと思うか、と平均的な有権者にきくと、ほとんどの人はわからないと答える。それはなぜかというと、アーダーンは個人的な欲求をかなえるために政治活動をしているわけではないからだ。
ティーンエイジャーの頃から、アーダーンは自分が望んだことではなく、ほかの人たちのためになることをしてきた。単に自分が目立ちたいからといって、生徒代表に二年続けて立候補する子どもはいないだろう。モルモン教徒だったアーダーンは、学校にショートパンツをはいていきたいとは思わなかったが、クラスメートたちはそう望んでいた。だからアーダーンは、クラスメートたちのためにそれを訴えた。
同様に、アーダーンはウェリントンで平等の権利を求めていたLGBTQ IA+コミュニティのメンバーではなかったが、彼らが支援を求めているのを知って、支援した。労を惜しまなかったので、コミュニティの人々のあいだで政治家の協力者として有名だった。