※本稿は、マデリン・チャップマン『ニュージーランド アーダーン首相 世界を動かす共感力』(集英社インターナショナル)の一部を再編集したものです。
首相として事件をどう伝えるべきか
その日、アーダーンは北島のニュープリマスにいた。気候変動を止めるための学校ストライキに参加してから、夜はある芸術祭のオープニングセレモニーに出席することになっていた。
午後1時50分、アーダーンと随行団の乗ったバンが学校に向かう途中、広報秘書官のケリー・スプリングが電話を受けた。クライストチャーチで大事件が発生し、状況が刻々と悪化しているとの知らせだった。
スプリングは電話をアーダーンに渡した。クライストチャーチのモスクで銃の乱射事件が起きたという。詳細はほとんどわからないが犠牲者が多数出ているらしい。アーダーンはバンの運転手に命じて警察署に向かわせると、電話をスプリングに返した。その日はスプリングが秘書官として働きはじめた初日だった。
アーダーンが出席する予定だった行事にはアンドルー・リトルが代わりに行くことになった。アーダーンは近くの警察署に入り、情報のアップデートを受けとりながら、事件のことを国民にどう伝えるべきかを考えた。
前例のない事件だった。ニュージーランドは大きな悲劇をいくつも経験している。クライストチャーチでは2011年に大地震があり、185人が亡くなった。1990年には、アラモアナ(南島)で男が銃を乱射して、12人の市民が犠牲になった。ニュージーランドの銃乱射事件としてはこれが最大のものだった。
19世紀後半にはマオリ戦争もあった。ほかのどの国とも同じように、ひどい犯罪や事件は毎日のように起きている。ただ、ここまでの凶悪な事件はなかった。アーダーンは、自分がどのようにニュースを伝えるかによって、国民の受け止めかたが変わるということをわかっていた。
被害者の多くは移民と難民
午後4時20分、撃たれた人々のクライストチャーチ病院への搬送がまだ続いている頃、ごく普通のホテルの会議室に少数のマスコミが集まっていた。アーダーンの記者会見がおこなわれる。テーブルの奥には椅子がふたつ置かれていたが、アーダーンひとりがやってきて着席した。
「確実にわかっているのは、これまでに例のない、とんでもなく恐ろしい事件が起きたということです」アーダーンはカメラにむかって語りかけた。その言葉が生中継でニュージーランド全国の職場や休憩所や家庭に流れている。それを意識しながら続けた。
「この事件の直接の被害者の多くは移民のみなさんだと思います。難民の方々もいらっしゃいます。ニュージーランドを選び、そこに住むことを決めた方々にとって、ここは永住の地です」
明確かつはっきりとしたスピーチだった。手元には原稿があるが、たまに視線を落とす程度で、あとはまっすぐカメラをみて話す。迷いもない。それをきいている国民以上の情報を持っているわけでもないのに。
そして質疑応答。同じようにショックを受けている記者たちの口調は控えめだった。このときだけは、首相対マスコミといういつもの敵対関係は消えていた。アーダーンは死傷者についてほとんどなにも知らなかったので、こう繰りかえした。
「これまでの、そしてこれからのニュージーランドで最悪の日です」