他人の利益のために働く希有な政治家
アーダーンにとって、政治家としてのやる気をかきたてる存在は、昔から子どもたちだったし、子ども担当大臣になりたいと思っていた。首相になってからは、ニュージーランドを「子どもにとって最高の国」にすると誓った。子どもたちが暮らしやすい国を作るというのはとくに目新しい考えではないが、アーダーンの場合、自分が育った家庭が貧しかったわけではない。ムルパラ時代、近所に貧しくて困っている家庭がたくさんあったからそう思ったのだ。
自分が子どもを産むより前に、産休の期間を長くするように法改正をした。そして自分が出産したときは、産休を6週間しかとらなかった。
政治家が自分ではなく他人の利益になるように働くことが当たり前であってほしいものだが、現実にはそうではない。しかしアーダーンはそういう希有な政治家であり、だからこそ、人々の悩みを共有してくれる共感力のあるリーダーとして世界の人々から偶像視されるようになった。アーダーンの評価は上がり、他国のリーダーたちが非難された。
解釈によって逆の印象になる巧妙な答え方
声をあげられない人々の代わりに声をあげることができる、それがアーダーンの強みだ。しかしその代わり、自分自身について率直に語る機会を失いがちではないだろうか。昔大麻を吸ったことがあると認めることが政治的利点になりうるような状況でも、アーダーンはそれを認めるのに抵抗を感じたらしく、こういった。
「わたしはモルモン教徒として育ちましたが、モルモン教徒らしくないことをしたこともあります。これがどういう意味か、ご想像におまかせします」賢い答えかただ。笑いもとれた。そしてこれはじつにアーダーンらしい発言だった。個人的なことは、些細なことであっても決して明かさない。明かすとしたら、その方法を巧妙に工夫する。
大麻の合法化を求める人々は、アーダーンは自分たちの気持ちや経験を理解してくれると思っただろうし、反対の人々は、昔一度だけやったことがあるだけでその後二度とやっていないんだと解釈しただろう。解釈によってまったく逆の印象になる。
働く女性が子どもを持つことについてのマーク・リチャードソンの暴言に反論したときのやりかたも、まさに政治家アーダーンらしいものだった。個人的には、あなたにいわれたことで気を悪くしてはいませんが、ほかのみんなを代表して苦言を呈します、といったのだ。ほかのみんなの代表といいながら、ほかのみんなとは違うスタンスをとった。