「2人目を諦めたくない」

夫の体たらくに悩んだ近藤さんは、「義母の現状をわかってほしい」と思い、夫の仕事が休みの日には必ず夫も連れて義母の家に行くように。

自分の息子が来ても、義母は“通常運転”。同じ話を何度も繰り返し、大切なものがどこかへいったと大騒ぎする。そんな義母の変わりようを目の当たりにした夫は、少しずつ認知症介護の過酷さを理解していき、いつしか「最期まで家で面倒をみてあげたい」と口にしなくなった。それと反比例するように、それまでは一度も近藤さんに言わなかった、「ありがとう」という言葉を、度々口にするように。

やがて夫は、「子育てしながら同居で介護をするのは無理かも」「最期まで家で面倒を見るのは難しいと考えが変わった」と言った。

ただそれでも、「母さんの家に行くとイライラしてしまうから」と、自らすすんで義母宅へ行くことはなかった。

そんな慌ただしい日々の2021年3月。近藤さんが2人目の妊娠をしたことがわかる。

胎児の超音波写真
写真=iStock.com/YsaL
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義母の認知症が発覚したとき、近藤さん夫婦は2人目を計画していた。待ったなしの義母の介護がばたばたと始まり、近藤さんは2人目をどうするか悩んだ。最終的な結論は、「介護で2人目を諦めたくない」。妊活を継続したのだった。

しかし、まだ介護そのものはそこまでではなかったが、妊娠・子育て・介護の3つが重なると精神的にも身体的にも想像以上に過酷だった。

当時2歳の息子はイヤイヤ期真っ盛り。息子のイヤイヤと義母の不穏が重なると、近藤さんもイライラしてしまう。妊娠中は、台所に立つのがつらいことも少なくない。それなのに、せっかく作った料理を食べない息子。「あまり食べたくない」と言って食べない義母。しかしそのあと結局食べ、「物足りなかったから」と言ってお菓子を食べる義母に、「認知症だから仕方がない」とはわかっていても、憤りを感じずにはいられなかった。

だが幸いなことに、近藤さんに2人目の妊娠がわかってから夫は、子育ても介護も、以前より協力的になった。近藤さんの体調が悪いときは、家事を率先してやるようになり、休みの日は、「息子が家にいると休めないでしょ?」と言って公園に連れていき、近藤さんが1人でゆっくりする時間を作ってくれた。

あんなに嫌がっていた、1人で義母宅へ行くこともいとわず、夫自ら義母の家に行き、食事の支度や服薬管理、買い物などをしてくれる。

夫が仕事の日でも、夫の帰宅後に今日の出来事を話すことは、近藤さんにとって自身のストレス発散になるだけでなく、介護の現状把握や情報共有にもなった。

「今日、またお金がないってお義母さん大騒ぎで、家中すごい探し回ったんだよ〜! で、どこにあったと思う⁉ 当ててみてよ! わからない? 正解は食器棚のタッパーの中でした〜! もう、宝探し状態よ〜! 疲れたよ〜!」

といった感じで、疲れたことを伝えつつ、ストレスを笑いに変えて発散させた。

2021年9月。近藤さんの出産が迫ってきたため、介護ヘルパーに依頼する日を増やし、月~金曜日はヘルパーかデイサービスのどちらかが入るように作戦を立てた。