コロナ禍を機にやる気のない医師は淘汰されるべきだ

年をとっていればどこかしら悪いのは当たり前です。しかし、その当たり前のことを改めて検査をして示し、それに対して薬を処方することによって、多くの病院は利益を得ているのです。新型コロナが流行する以前、病院の待合室が高齢者のたまり場のようになっていたのは、こうした医療機関の姿勢があったためでした。

体に不調があることが当然の高齢者に診療をして、本当に必要かどうかわからない検査を繰り返し、「不調ですよ」と言うだけのことで潤ってきた。そんな開業医は「もういらない」とすら思います。

新型コロナかそうでないかにかかわらず、不必要な診療をやめ、必要な診療を行うやる気のある医師たちが生き残るべきなのです。

医師法17条で「医業」とは「医師しか行えない」との特権を国から与えられているのです。それが19条で「正当な理由なく患者を診ないことがあってはならない」とされているにもかかわらず私利私欲に走るのは、医師として許されることではありません。コロナ患者を率先して診た勇気をもった医療機関が存続し、それ以外は淘汰されるきっかけを新型コロナは与えてくれたのかもしれません。

夜の空の病院の廊下
写真=iStock.com/SimonSkafar
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「医療崩壊」は国民の努力が足りないせいなのか

緊急事態宣言とそれに伴う外出自粛も医療崩壊を防ぐために行われてきたことです。だから医療の側としては国民が我慢をしている間に、新型コロナのための病床確保や医療体制を整える時間は十分にあったはずです。

それがいつの間にか国民に我慢を強いて「新型コロナをゼロに近づける」ことが目的になってしまいました。2020年11月、分科会会長の尾身茂氏が「個人努力だけに頼るステージは過ぎた」と語ったのもそういった思想があってのことでしょう。これはつまり、分科会も政府も医師会も2020年11月まで感染拡大防止を「国民一人ひとりの個人の努力」に頼り、病床確保などの手を打ってこなかったということです。そして、国民の努力が足りないから感染者が広がり、医療崩壊が起きると尾身氏は言っているのです。

ここまで言われてなぜ、国民のみなさんは変だと思わないのでしょうか。

私は第一波の頃から、「医療体制を整え、新型コロナに感染したときに安心して医療を受けられる体制をつくらなくてはならない」と発言してきました。するとあちこちの医療関係者たちからは「新型コロナの感染者が安心して病院にかかるなんてとんでもない。何をふざけたことを言っているんだ」と怒られました。

そのような医療体勢の下で、もしも日本の感染者数が欧米並みであったなら、とんでもなく悲惨なことになっていたでしょう。

イギリスでは感染のピーク時に、ICUの98%をコロナ用に使用していました。日本の医療環境において、海外ができたことができなかったのは本当に残念です。幸いなことに日本ではICUを火急に増やす必要がないくらいに感染者、重症者、死者数が少なかったために危機を免れることができたというだけのことです。