渋沢栄一が断罪した悪徳重役
「現代における事業界の傾向を見るに、まま悪徳重役なる者が出でて、多数株主より会社の依託された資産を、あたかも自己専有もののごとく心得、これを自儘に運用して私利を営まんとする者がある、それがため内部は一つの伏せる魔の殿と化し去り公私の区別もなく秘密的行動が盛んに行われる。真に事業界にために痛嘆すべき現象ではあるまいか。」【『論語と算盤』合理的の経営】
一方で、日本企業の不正事件の原因のほとんどは私利目的というより「会社のため」、「会社の命令を従った」でありましょう。ただ、これは言い訳に過ぎません。会社の立場における「自分のため」にやったことが、これら事件の発端であることが明らからです。
「間違えないこと」が慣例となる終身雇用・年功序列の社風では、会社や上司が示す目標を達成するしか「正しい答え」がありません。それが、社会の規範と外れていてもやむを得ずという状況が、残念ながら少なくないのです。
日本人は自分の会社のことを「ウチ」とよく表現します。まさに「公私の区別」がはっきりとしていない状態を表しています。「ウチ」だけ観点に捕らわれることには、信用損失へとつながる可能性が潜んでいることに気付くべきではないでしょうか。
「現在有るものを無いといい、無いものを有るというがごとき、純然たる嘘を吐くのは断じてよろしくない、ゆえに正直正銘の商売には、機密というようなことは、まず無いものと見てよろしかろう」【『論語と算盤』合理的の経営】
渋沢栄一は「合理的の経営」で経営力が欠けている会社重役の3つのパターンを指摘しています。
(1)会社の取締役や監査役など肩書き求める「虚栄的重役」。しかし、彼らの希望は小さいだけに、それほどの損害の心配はないと栄一は考えました。
(2)好人物だけれども、「事業経営の手腕がない」重役。部下の善悪の識別や会計処理を精査する能力がなく、知らず知らずと自分自身が苦しい立場へ追い込みます。前者と比べてやや罪が重いですが、故意に悪事をなした者ではないと栄一は示しています。
(3)会社を利用して「自己の栄達を計る踏台にしようとする」重役。例えば、株価を上げて置くために、実際ない利益を有るように見せかけることは明らかに詐欺の行為であると栄一は痛烈に批判しています。
経営者の責任とは、利益の最大化だけに留まらないことは明らかだと思います。(渋沢健)
シブサワ・アンド・カンパニー株式会社代表取締役、コモンズ投信株式会社取締役会長。経済同友会幹事、UNDP SDG Impact企画運営委員会委員、東京大学総長室アドバイザー、成蹊大学客員教授、等。渋沢栄一の玄孫。幼少期から大学卒業まで米国育ち、40歳に独立したときに栄一の思想と出会う。近著は『SDGs投資』(朝日新聞出版)