防災備蓄ゼリーは、胃に直接食べ物を流し込む「胃ろう」にも対応できる。震災から数日経った深夜。瓦礫の中、崩壊寸前の家屋を一軒一軒訪ね、生存者がいないか大声で呼びかけると、寝たきりで身動きのとれない家族を抱えた被災者が食料もないまま取り残されていた。島田氏が被災地で目の当たりにした、こうした具体的な課題に向き合い続けた結果が、商品の際立つ特徴として表れている。

「LIFE STOCK」は、福岡市や札幌市など全国100自治体で備蓄食として採用され、1000を超える企業で導入が進む。大手医薬品メーカー大正製薬もワンテーブルのゼリー製造技術を使って、長期保存用のリポビタンゼリーを開発、全国販売するなど市場が拡大している。

仙台で起業中、震災で大切な友人を亡くし…

北海道出身の島田氏は北海道教育大学在学中、18歳で教育ベンチャーを起業。2005年、24歳のとき、経済産業省の地方創生事業で最年少のプロデューサーに抜擢され、2007年には国土交通省認定の観光地域プロデューサーとして活動を始めた。全国各地の観光振興や6次産業化支援などに携わり、地元では新進気鋭の若手起業家として知られた存在だった。

2009年には仙台市に拠点を移し、地元農家と連携した産地直売所「マルシェ・ジャポン」を始める。そこで2011年の東日本大震災に遭った。

家族や自宅に大きな被害は及ばなかったものの、大切な友人たちを亡くした。いてもたってもいられず震災翌日から、100人以上の仲間と被災者支援に向かった。北は岩手県陸前高田市から南は福島県南相馬市まで各避難所を行き来し、被災の過酷な現実に向き合った。

終わりの見えない自然災害
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常に島田氏の念頭にあるのはその時の「避難所運営の現場」だ。

「多くの善意がゴミになってしまった」

大量に積まれた食料や救援物資の山を目の前にしながら、必要な人に必要なものを平等、公平に届けられない事態に直面した。

「例えば、支援物資の中に『女の子・靴』と書かれた箱があるが、目の前には靴が必要な小学2年生の女の子がいる。『18センチ・靴』と書いてくれないと渡すことができない。2万箱の物資が後ろにあって、目の前に2000人の避難者がいたらそれはもうミスマッチの極みです。避難所ではそのようなことがたびたび起こる」

労働集約型の膨大な作業の積み重ねが、同じ被災者でもある自治体職員を疲弊させ、「多くの善意がゴミになってしまった」と、島田氏は今でも悔しさに苛まれる。震災当時50代だった行政の幹部職員は全員退任し、現場運営の経験は、“苦労した思い出話”にとどまるのが現実だ。