7年前の17カ月間を振り返って
白井さんは、7年前の約17カ月間の闘病を、最近になってようやく振り返ることができるようになった。
「私にとって一番の悩みは義母でした。義母は私が少しでも気に触る言動をすると、無視や意地悪をしてくる人でした。夫が倒れてから、義母から責められ続けてきた私は、自己肯定感が地の底まで落ち、今もPTSDやパニック障害と戦い、抗不安薬を飲んでいます」
義母はことあるごとに「あなたのせいで!」「あなたと結婚してなければ!」「前の彼女だったらよかった!」などと言って白井さんを責めた。だが、義母は夫の闘病中、白井さんが娘たちの送迎などで不在にする間、息子とともに留守番をするだけ。「(息子が)トイレに行きたそうよ~」などと言うだけで介護はもちろん、家事も育児も、ほとんど手を貸そうとはしなかった。
「介護は、家族が役割分担をしっかり話し合うことが大切だと思います。でないとキーパーソンが倒れてしまいます。特に、被介護者が若い場合は、取り巻く家族も若くて数が多いため、余計に大変なのかもしれません」
在宅介護の頃、義母は夕飯時もおにぎり持参で白井さん宅に居続け、白井さんが気を遣って、作ったおかずを取り分けて出しても、一切手を付けなかった。
「当時の私は、自分が生きていることさえ悪いことだと思えて、娘たちが眠った後、『パパが早くに死んじゃう家に産んでごめんね』と泣いていました。娘たちと一緒に死のうと思ったことは、数え切れないほどあります。義母への恨みを遺書に書いて、死んでしまいたいと思っていました。でも、実母や私の友人、夫の友人が来てくれたり、電話で愚痴を聞いてくれたりして、支えてくれたおかげで、何とか死なずにすみました」
40歳未満だった夫は、介護サービスが使えなかったことも白井さんを苦しめた。障害認定を受け、自動車税などの税金は安くなったが、抗がん剤治療やリハビリ、通院には高額な費用がかかる。
住宅ローンは団体信用生命保険で賄えたが、白井さん家族の生活費や娘たちの幼稚園・保育園の費用など、金銭的な不安に押しつぶされそうになったこともあった。
中でも、白井さんが最もつらかったのは、当の夫の人格が病気によって変わってしまったことだ。
「介助をしていて怒鳴られたり、『うるせーなー!』と声を荒らげられるのは日常茶飯事で、何より、溺愛していたはずの娘たちが暴力を振るわれているのを見るのも、私が叩かれているのを娘たちに見せるのもつらかったです。もともと長女は癇癪持ちで、まだ幼い次女はグズりやすく、そこへ義母が『あなたが悪い!』と責める。一番そばで見ていた義母に、最後まで寄り添ってもらえなかったのは、本当に悲しかったです」
それでも、夫を看取るまで、白井さんが頑張れたのはなぜだったのか。
「夫は、出会ったときから本当に私を大切にしてくれて、愛情を注いでくれました。だから、意思疎通ができなくなっても、感謝されなくても、恩返しだと思えば苦ではありませんでした。夫がリハビリで作ってくれた小物入れの中の手紙のおかげで、『言えなかっただけで、感謝してくれていたんだ』と思ったら、すべて報われた気がします」
介護は、介護される本人の気持ちや意見も重要だが、介護する家族の気持ちや意見も同じくらい重要だ。しかし、介護していない家族が口を出すのは論外。白井さんのように、ほぼ一人で最後までやり遂げられる人ばかりではない。
「1人で頑張りすぎず、助けを求めてください。使える支援は何があるのかを知って、使えるものは使い、無理なく家族と過ごしてほしいです。夫は亡くなってしまいましたが、私の経験を多くの方に知ってもらい、こんな絶望から這い上がってきた人もいるのだと、誰かの希望につながってくれたら嬉しいです。今日、目の前にいるあなたの大切な人は、明日もいるとは限りません。今日と同じ明日がくるとは限りません。どうかみなさん、大切な人に、大切なことを、言葉でちゃんと伝えてください。悲しいお別れをする人が、一人でも減りますように……」
白井さんは現在再婚し、家族4人で幸せに暮らしている。