在宅介護の限界
そして4月。夫は突然玄関に向かい、普段は開けられないドアの鍵を開け、外に置いてあった自分の自転車に乗ろうとする。自転車通勤だった夫は、「通勤するスイッチ」が入ったのだ。
しかし自転車の鍵が開けられず、イライラして力ずくで動かそうとしている。すると、白井さんと一緒に夫を追いかけてきた5歳の長女が、「パパ、鍵がかかってるから動かないよ!」と声をかける。それを聞いた夫は、「なら鍵を持ってこいよ!」と怒鳴る。だが鍵を渡したらパパが危ないと判断した長女は、「鍵はなくなっちゃったよ!」と言った。瞬間、夫は長女の顔を平手打ちしていた。
「もう限界だと悟りました。あんなに溺愛していた長女を殴るなんて……。『これ以上は危険だ! 俺から長女を引き離して!』と夫が訴えているように思えました。『もう義母に何と言われようが構わない。私が夫と娘たちを守らないと!』と思いました」
白井さんはすぐに主治医に相談した。
主治医は、「お子さんを守れるのはあなたしかいません。子どもを守る選択をしてください。私も2人の子どもを持つ父親ですが、もし私がご主人と同じようになったら、『迷わず病院か施設に入れてくれ!』と妻に頼みます。苦しんでいる妻と子どもを見るのが1番つらい。しかも、その原因が自分だなんて、父親として耐えられません。ご主人も、大切な娘さんを傷つけてまで自宅にいたいとは思っていないと思いますよ」と言い、役所へ相談するよう勧めた。
白井さんは、市役所の福祉課へ。すると保健師が言った。
「介護しているのは奥様で、一緒に住んでいるのも奥様とお子さんですよね? 介護していない家族が口を出すことは在宅介護ではよくあることなのですが、精神科の先生に診てもらったらすぐさま『措置入院』のレベルです。すぐに精神科を予約しましょう。いい先生がいますのでご紹介します」
精神科を訪れると、精神科医は、「奥さんもお子さんも大丈夫ですか? 話は聞いています。このまま入院していただきたいと思っています」と言った。
数日後に退院者がおり、他にも空き待ちをしている患者はいるが、状況的に判断して、優先的に入院させてくれるという。
白石さんは安堵しつつも、入院までの数日間、「夫の貴重な残り時間を病院で過ごさせてしまっていいのか?」「夫はどう思っているだろう?」「義母に何と言われるだろう?」と考えた。しかし最後には「子どもを守るためだ!」と心を決めた。
幸い、保健師が自宅を訪れ、義母と義姉に話をしてくれるという。話を聞いた義母は、「精神科だなんて可哀想に! あんた、もう決めちゃったの?」と白井さんを責めたが、それ以上は言わなかった。