“魅せるテニス”への恐ろしいほどの重圧
「オレは最強だ!」
国枝慎吾はロッカーの鏡に映っている自分の顔に向かって言い聞かせた。
もうすぐ金メダルを賭けた最後の闘いが始まる。地元東京でのパラリンピック、どんなことがあっても負けるわけにはいかない。
相手はオランダのトム・エフベリンク。37歳となった自分よりも9歳も若く、170kmの超高速サーブを放つ。しかし、怯んでなどいられない。日本中に車椅子テニスの素晴らしさを伝えたい。車椅子テニスプレーヤーになりたいと思って欲しい。そのためにはなんとしても勝つことが必須となる。
「見る人の予想を遥かに超えるテニスをする。魅せるテニスをすることだ」
いつも考えていることを、この有明テニスセンターという大舞台でやってのけなくてはならない。上手いではなく凄いプレーをする。信じられないスーパーショットを決めてポイントを奪う。そうした健常者テニスに勝るとも劣らない車椅子テニスで金メダルを獲得する。国枝はこの東京パラでそれを実現すると自分自身に誓ってきたのだ。
こう誓いは恐ろしいほどの重圧が心にのしかかる。負けられない闘いであり、勝たなければならない闘い。自分はベテランの域も過ぎた年齢で肘痛も抱えている。2021年の今年はグランドスラム大会のすべてに敗れている。怖れは最高潮まで高まっていたのだ。
弱いからこそ、強くなれる
しかし、国枝はその怖れを払いのける。それにはこのまじないの言葉を叫ぶしかないのだ。
「オレは最強だ!」
オーストラリアのメンタルトレーナー、アン・クイーンが自分に授けた自信回復法。パラリンピックの選手村に入った時から、毎日毎日、言い続けてきた言葉だ。自分が最強であると自己暗示をかける。この言葉を放った後、勝利を手にしてガッツポーズをしている自分を頭に描く。そこまでを必ず行いきる。
この言葉を放てば弱気を消し去り、強気一本槍になれる。自信が持てる。試合中でもポイントを連続して失ったとき、ラケットに貼り付けた「オレは最強だ!」を見る。フレームの内側にテープに書いて貼り付けた文字に勇気づけられ、力が漲ってくるのだ。
最強のメンタルを持つ男と言われる国枝だが、本当はとても弱いのだ。弱いからこそ、強くなれる方法を学び編み出してきた。
「オレは最強だ!」
この言葉こそ、国枝の特効薬なのである。