さらに勝ち続ける国枝。グランドスラム通算20勝のロジャー・フェデラーが記者から「日本には強い選手がなかなか出ませんが?」という質問に「何を言っているんだ。日本にはシンゴ・クニエダがいるじゃないか」と言い、「僕もできない年間グランドスラムを達成している」と讃えた。エキジビジョンで国枝とフェデラーはペアを組んだことがある。フェデラーは国枝の俊敏な動きに驚き、「車椅子でなくても難しいテニスなのに」と敬意を表した。

2015年も絶好調だった。全豪、全仏、全米オープンを撃破。全豪は8連覇、全仏、全米は2年連続6度目の優勝を飾った。ところが、この全米オープンが終わったとき、再び右肘を痛めた。まったく回復せず、このままでは16年のリオ五輪で3連覇を成し遂げることができない。4月に12年以来2度目となる手術を断行、リハビリを兼ねながらリオの準備を進めた。とはいえ、痛みは消えない。

「負けるくらいなら出ないほうがいいんじゃないか?」

「絶対王者」故に何よりも敗北が怖い。悩み苦しむ中、妻の愛さんが言った。

「やってみれば。なるようになるわよ」

そこには明るい笑みがあった。

車いすのテニス
写真=iStock.com/roibu
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「もう引退するしかない」

「その時、思い出したんです。僕のモットーは挑戦だって。ずっと挑戦してきた。挑戦してきたからこそ今の僕がある」

国枝は痛み止めの注射を打ちながらリオ五輪に挑んだ。愛は懸命に国枝を支えた。結果はシングルベスト8ダブルスは銅メダルだった。

「愛がいなければ、出場もしてなかっただろうし、銅メダルもなかった」

マスコミはシングルスで金どころかメダルが取れなかったことが、国枝に大きな挫折感をもたらせたと書いたが、実際はまったく違う。肘の痛みの中で精一杯のテニスができたことに感謝していたのだ。問題はそのあとである。リオパラが終わっても肘の痛みが消えず、あらゆる治療を施すものの一向に改善しなかった。国枝の主治医は休養を勧めた。

「一度目の手術のときは手術後に痛みは消え、すぐにテニスができ、ツアーにも復帰できた。しかし、2度目は違った。痛みが消えず、休む以外の方法がなかった。これで治らなかったら?」

不安は真っ黒な雲のように覆い被さった。そうして休息後4カ月が経った日。国枝は再びコートに立った。ボールを打つと、右肘にひどい痛みが走った。激痛に顔が歪む。筆者も経験があるが、普段は何でもないのに、ボールを打つと電流が走る。涙が出るほどの激痛である。

国枝は思わず妻に電話する。

「肘が痛い。もう引退するしかない」

愛さんは立ち尽くした。言葉が出なかった。2度目の手術の跡、肘痛が治らず、夫は心が折れた。しかし、「引退」の二文字を口にすることはなかったのだ。自分の頭の中も白くなった。