妻が発した意外な言葉

「休み明けの初日の練習で痛みが出て、ショックだったのね」

自宅に戻る道すがら、何と言って励まそうか考える。しかし、言葉は見つからない。絶望している人間にどう言葉をかけたらいいものか。

とにかく自分まで暗くなってはいけない。とはいえ、明るくしても行けない。普段通り接しよう。それこそが絶望の淵にいる人間への接し方である。

国枝は後になって笑いながら言う。

「どん底の私に妻は何と言ったと思いますか? これまで十分にやってきたのだから、そのときはそのときよ。もう頑張らなくてもいいんじゃない」

「引退するしかない」といった夫に対して、あえて引退を勧めるような言葉。夫婦でなければ言えない台詞。心底愛している人にしか言えない台詞である。

国枝は言う。

「頑張って、といわれなくて、本当によかった。すーっと気持ちが楽になった」

これまで強気一辺倒の発言をしてきた国枝が、結婚して家庭を持ち、弱音を吐ける場所ができた。強気の発言は弱気の裏返しでもある。いつもいつも狼の皮を被ってはいられない。どん底の自分を受け止めてくれる妻がいることに、感謝しても仕切れない。

国枝は妻の支えの基に再び立ち上がった。また一歩ずつ、頑張り始めることができたのである。

ベイエリアを歩くビジネスウーマン
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「やるだけのことはやろう」

「肘が痛くても命はある。僕は一度死んだ人間です。脊髄の癌を患ってそれでも生かしてもらっている。車椅子テニスと出会って喜びに満ちた人生を送らせてもらった。そんな人間が怖がっていても仕方ない。やるだけのことはやろうと決めました」

テニスでの引退はテニスでの死を覚悟したようなもの。ならば、なんでもできる。

国枝はストロークを改善しようと考えた。もはや手術で解消できるものではなくなっただけに、肘痛は消えなくともテニスのできる打法を会得しようとしたのだ。そのために国枝はまず肘痛の原因となるストロークの問題点を探した。

右肘を痛めたのは、国枝の伝家の宝刀であるバックハンドストロークがもたらしたものだ。ダウンザラインにエースを決めるには、ネットを超えてから急激に落下するトップスピンで打つことが不可欠。トップスピンはラケットの面でボールを擦り上げる技。それだけに肘への負担が大きい。国枝は擦り上げる量を減らすだけでなく、多くのトップ選手のバックハンドを調べ上げ、肘への負担が少なく、しかもダウンザラインにエースを決められる打法を研究した。自分に最適な新打法を見つけ出し、その習得に当たったのだ。

「グリップから変えました。手や腕の使い方、体の動かし方、球をとらえるテンポやリズムなどすべて一から変えました。よって、当初はネットも超えなかった。初心者と同じです」