首相側近を街頭のビラ配りにも投入

横浜市長選で、菅首相は側近らに「理屈ではない」と語って小此木氏の応援に回ったという。小此木氏の父親は、通産相や建設相を務めた小此木彦三郎氏(1991年11月に63歳で死去)だ。彦三郎氏は菅首相が26歳のときから秘書として仕え、菅首相が政界入りするきっかけを作るなど世話になった人物である。足を向けては寝られない恩人だ。菅首相が小此木氏を応援するのは当然だろう。

しかし、菅首相は5月下旬に小此木氏から横浜市長選への出馬の決意を知らされ、当初は困惑した。なぜなら、選挙の大きな争点であるカジノを含む統合型リゾート(IR)誘致の是非をめぐり、小此木氏は横浜市への誘致中止を掲げたからだ。

横浜日本の美しい夜景
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菅首相はインバウンド(訪日観光客)政策の一環として安倍政権の官房長官のときからIR推進の旗振り役を務めてきた。なかでも菅首相の地元横浜は、IRの有力候補地のひとつとみられていた。

このため菅首相の支援表明は7月末にずれ込んだ。IR誘致の是非には触れずに支援し、側近を街頭のビラ配りに投入するなど小此木氏を全面的にバックアップした。一部からは「首相は義理と人情に厚い」と評価を上げた。

自民党議員からも「選挙の顔」として不安視する声

首相が誘致中止を訴える小此木氏を推したことは、有権者にとって分かりにくい選挙になっただけではない。自民党市議の一部が、IR誘致を推進して4選を目指す林文子氏(75)の支援に回るという保守分裂を招き、自民党の大敗の要因のひとつにもなった。

横浜市長選の開票から一夜明けた8月23日午前、菅首相は官邸で記者団にこう話した。

「(小此木氏の惨敗は)大変残念な結果だった。市民がコロナ問題とかさまざまな課題について判断されたわけだから謙虚に受け止めたい」
「時期が来れば出馬させていただくのは当然だと話してきた。その考え方に変わりはない」

応援した小此木氏が自らのおひざもとで敗れ、さらなる支持率の低下は確実だ。今後9月30日の自民党総裁の任期切れ、10月21日の衆院議員の任期満了を控え、自民党議員からは「選挙の顔」として不安視する声が強く出ている。

それにもかかわらず、菅首相の表情はこれまでと違い、かなりさっぱりとしていた。しかも党総裁選にまで触れ、改めて出馬の意向を示す強気な姿勢を見せた。なぜ、それだけの余裕があるのか。菅首相は単に義理や人情から小此木氏を応援したのではないのかもしれない。