今年5月に民間企業として初めて有人宇宙飛行を成功させたスペースX、トヨタを抜いて自動車業界で時価総額世界一になったテスラ。これら二つのベンチャー企業をほぼ同時に立ち上げたイーロン・マスクの足跡は、決して順風満帆ではなかった。破産寸前の逆境を稀代の起業家はどう乗り越えたのか――。

※本稿は、桑原晃弥『乗り越えた人の言葉』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

スペースX本社(カリフォルニア州ホーソーン)の社屋前に展示されている2段式商用ロケット「ファルコン9」(2018年8月)
写真=iStock.com/Jorge Villalba
スペースX本社(カリフォルニア州ホーソーン)の社屋前に展示されている2段式商用ロケット「ファルコン9」(2018年8月)

それは「世界を救う」夢から始まった

暗闇のような日々の中で、絶望は、がんばろうという強烈なモチベーションにつながります。――(きずな出版「イーロン・マスクの言葉」p132)

最もクレイジーな「ポスト・ジョブズ」と言われているイーロン・マスクのキャッチフレーズは「世界を救う」です。学生時代から「いずれ枯渇の時が来る化石燃料に過度に依存した現代社会に変革をもたらし、人類を火星に移住させる」というSF小説並みの夢を大真面目に語り続けてきたマスクは、スタンフォード大学の大学院をわずか2日で中退したのち、オンライン決済サービス「ペイパル」の成功によって大金を手に入れます。

そのお金を元にマスクが創業したのが、ロケット開発の「スペースX」や、電気自動車の「テスラモーターズ」です。しかし実は、最初からこれほどの事業を考えていたわけではありません。

火星で植物を栽培する構想

当初、マスクは火星に「バイオスフィア」と呼ばれるミニ地球環境を持ち込んで植物を栽培する構想を描いており、それはマスクの手元資金でもできることでした。問題は資材を火星に運ぶロケットですが、アメリカのボーイング社製は経費が掛かりすぎますし、ロシア製は信頼に欠けていました。普通はここで諦めるところですが、マスクは「安くて信頼性の高いロケットを誰もつくっていないのなら、自分でつくればいい」と考え、ロケット開発に乗り出すことにしたのです。目指したのは「ロケットの価格破壊」でした。