※本稿は、ひろゆき『人生の正体 生きること、死ぬこと』(徳間書店)の一部を再編集したものです。
ひろゆき「僕はウソをつく資格がない」
ウソをつくことは、その場しのぎだと思われがちだ。
でも実際は、その場では終わらない。ウソをついた次の瞬間からあらたな工程が発生する。自分がつくった「物語」の整合性を、維持管理するためのマネジメント能力が試されることになる。
いつ、どこで、誰に、どんなウソを話したか――。
まずはその設定を、次に会うときまで自分のメモリに保持しておかないといけない。それができないと物語に矛盾が生じる。ウソが露呈する。
ウソをウソとして完結させるには、面倒な長い道のりを要するのである。
「ウソをつくのは悪い」という倫理や道徳の話をしたいのではない。
僕は記憶力が極端に悪い。ウソをついても、いつ、どこで、誰に、どんなウソをついたか覚えられない。つまり、僕にはウソをつく資格がないのだ。ウソをマネジメントできないから、ウソはつかない。いや、つけないのである。
「マネジメント能力」がない人にウソをつくのは難しい
ウソは、いかに無理なく辻褄を合わせられるか、そのマネジメント能力が問われる。
ウソも正直も、人格や道徳感のひと言で片づけられるものではないのだ。
上手にウソをついて、それがなかなかバレないのはどういう人なのか。
やはり、記憶のメモリが大きいかどうかにかかっていると思う。
ウソが成立する条件は単純だ。
ついたウソの設定を忘れずに、長く頭の中にとどめておけること。これには記憶力や注意力が必須条件だ。言い換えるなら、ウソはコストがかかるスキルなのである。
別に、ウソが上手な人は頭がいい! と持ち上げるつもりはない。普通の人が真似しようと思っても、そういったスキルがなければすぐさま事故る、という話なのだ。
多くの人は、そこまで計画的で巧妙なウソなど考える機会がない。だから、慣れていないウソをついてもすぐに破綻し、信用もガタ落ちする。信用が失墜すると、人生が面倒くさいことになる。

