現実世界のウソとSNSのウソの違い

一方、SNSはウソが露見しても、逃げ切ることができる。

ひろゆき『人生の正体 生きること、死ぬこと』(徳間書店)
ひろゆき『人生の正体 生きること、死ぬこと』(徳間書店)

理由は単純で、リアルなコミュニティに比べて矛盾が見つかりにくいうえ、後始末の責任がなし崩し的にうやむやにされがちだからだ。

まず、SNSではウソの全体像が見えにくい。

タイムラインはどんどん流れていくし、投稿は膨大な情報の切れ端として消えていく。読んでいる側も面倒なので、いちいち過去の発言までさかのぼって整合性をチェックしたりはしない。

つまり、ウソを検知するのに時間と手間がかかり、矛盾が表面化しにくいのだ。

次に、ウソがバレても何とかなる。

リアルのウソは、同じ会社や学校、友人関係のように、同じコミュニティの中で回り続ける。だから、どこかでいったん矛盾が噴き出したら逃げ場がなくなり、ウソで直接的に迷惑をこうむった当事者から説明責任を追及される。

かたやSNSはどうか。相手が「顔の見えない大多数」であるぶん、個対個の関係性は希薄だ。ウソに対して激怒りする人もいるが、全員から怒りを買うわけでもないので、騒ぎ立てる人間はブロックすれば済む。後始末のコストは安上がりだし、アカウントをつくり直せば、関係ごと切り捨てて次のゲームに移れる。

ヘラヘラと正直に生きたほうが圧倒的にラク

SNSでは、ウソは秒速で拡散されるため、1回のウソで得られる注目度・共感・勝った感といったリターンが極大化しやすい。しかも、大したダメージもなく、逃げ切りが可能なので、必然的にウソだらけになる。

じゃあ、ネット界隈を揺るがすような重大なウソをついても、当事者は無傷で逃げられるのか。それは、やはり難しい。なぜなら、ログだけは淡々と残り続けるからだ。

それは、長い時間が経過し、ウソが風化され、人々の記憶から消し去られたころにやってくる。何かのきっかけで昔の投稿が掘り起こされ、「あのときこう言ってましたよね?」と過去の過ちを突きつけられる。

ウソの当事者があらたなキャラとして生まれ変わり、いまは別世界を生きていようとも関係ない。過去についたウソが、巡り巡って自分の元に戻ってくるのだ。

ログを掘り起こされることを恐れて、毎日ビクビクしながら生きるのはそうとう疲れる。自分のついたウソに押しつぶされないように生きるより、もっとヘラヘラと過ごせる人生のほうが圧倒的にラクだろう。

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