「イケダ、人生にエラーはつきものだ」

池田は平成13年9月、アメリカアイダホ州のボイジーに住むバックナーに会いにいった。明るい会話の中で、バックナーが急に真面目な顔になる瞬間があった。

「ワールドシリーズが終わってから僕のせいで負けたって騒がれた。どうしてあんなことを言われるのかわからなくて困ったけれど。だけどね、大切なのは自分がそれをどう思うか、その人生にどう向き合うか、そしてその経験をどう今後の人生の糧にするかだと思うよ」

池田も自分の経験を話した。あの転倒のあと、理不尽で激しいバッシングを受けた、と。バックナーの表情がいっそう真剣になり、目が鋭く光った。

「イケダ、人生にエラーはつきものだ。大事なことはそのあとをどう生きるかだ。たかが野球、ゲームじゃないか。長い目で見るとつらいことのほうが大きな意味を持つんだ。あのエラーがあったから、今の人生があるといえるよ」

バックナーはそう話すと、椅子から立ち上がった。二人は握手した。それまで緊張していた池田の顔から笑みがこぼれた。重荷を背負った人生に一区切りがついた瞬間だった。

池田さんとビル・バックナー氏
画像提供=池田ゆかりさん
池田さんとビル・バックナー氏

アイダホから帰宅した池田は、すっきりとした顔で「バックナーは自分が思っていた通りの人だった」と感激まじりにゆかりに伝えた。

池田の転倒は江夏にもその後影響を与えた

以来、池田は、自分の体験を話すことで人を励ましたいと思うようになる。呼ばれればどこへでも行くというのが彼の信念だった。仕事の合間を縫って、PTAや企業の集まりなどでも話した。彼の講演は多くの悩める人の心を打ち、中には泣きながら聞く人もいる。そんな人々との出会いも彼の喜びだった。

バックナーと会って、4年もたたない平成17年5月。池田はいつものように元気に営業先に出て行った。その出先で突然倒れた。くも膜下出血だった。そのまま意識は戻らず、5月17日に59歳で死去した。

池田のあの転倒は、江夏の考え方にも影響を与えた。

「野球にエラーはつきものだけど、若いときは、どうしてもミスを許せないよね。でも何年かやって、エラーとボーンヘッド、この違いが少し見えてきた。ボーンヘッドは全力疾走しない、声を出さないといったこと。僕はこれに対しては厳しかった。だけど一所懸命やった結果としてのエラーに対しては仕方ないと思えるようになった。それが野球を続けてゆく中で自分でも見えてきたということでしょうね」

江夏はそう語った。もちろん池田の落球は後者だと付け加えた。

令和元年5月28日、ビル・バックナーの訃報が届いた。69歳だった。認知症を患っていたという。池田純一とビル・バックナー、二人には海を越えた厚い友情があった。二人の偉大なプレーヤーは、今天国でどのような野球談議をしているだろうか。

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