打撃でチームに貢献しても、更改ではダウン額提示
この年、ペナントレースが終了してから突然、「あのとき池田がエラーしてなければ、阪神は優勝できた」と言われ始めた。池田は、あるテレビ番組の司会者の一言がきっかけだったと家族に語っている。
冷静に見れば、池田がミスしたのは8月の上旬である。逆転負けしたのは事実だが、この頃はまだペナントレースの真っただ中で、この1敗が優勝を逃した最大の要因というには無理がある。それに後半戦の彼の活躍を忘れている。
驚いたのは池田本人である。なぜ今更、あの話題が蒸し返されなければならないのか、という思いだった。
池田のもとには非難の電話が相次いだ。最初はあまり気にしていなかったが、バッシングは過激化の一途をたどる。取材に対して「あれはエラーじゃない。芝生に足をとられたんだ」「だいぶ前の試合で、優勝を逃したこととは関係ない」と主張しても、マスコミは聞く耳を持たなかった。
この年、池田は勝負強い打撃で何度となくチームを救った。だが年末の契約更改で球団が示した額はダウンだった。理由は「落球でチームに迷惑をかけたから」だった。
このとき池田は家族に言っている。
「人が信じられない。監督もバッシングから守ってくれると思っていたのに、もう人間不信になってしまった」
以来、彼の気持ちは阪神から離れていくことになる。
「もう終わったことやろうが」と応えた江夏
じつは池田はシーズン中から転倒のことを悩んでいた。選手の多くは知らないことだったが、江夏にだけは打ち明けていた。
あの転倒からしばらくたった、甲子園での試合後のことだった。すでに江夏は自宅のマンションに帰っていた。深夜を過ぎてインターホンが鳴った。誰かが急ぎの用事で来たのだろうかと玄関を開けると、そこには池田が深刻な顔で立っていた。
「おいユタカ、あのエラーな……」
いつもの九州男児の元気な声ではない。沈鬱な様子である。
「もう終わったことやろうが。俺はもう何とも思っていないから」
ひとしきり話すと、池田は気分が落ち着いたのか、乗って来た自転車で帰って行った。
「いつも元気にしゃべる池田があんなに沈んだ声を出して落ち込んでいる。思いつめていました。でもシーズンは現実に進んでいるわけだし、僕は何とも思っていない。そう話して、池田も元気になったと思っていたんです」