「怒る気力もありませんでした」

江夏はこう振り返る。

「何しとんのじゃいと思いました。想像がつきませんもの。振り向いたら寝てるんだから。当たり自体はそんなに悪くなかったけど、僕からすれば打った瞬間に正面で捕れる打球です。放心というか怒る気力もありませんでした」

巨人ベンチは大喜び。長嶋は自分が殊勲打を打ったように万歳し、王は椅子を壊すほどの勢いで叩き、喜びを表した。

その後お釣りがくるほど活躍するも優勝は逃す

阪神は落球のあった8月5日以後、巨人に勝てなくなってしまった。それまでは10勝6敗1分けだったのが、以後1勝7敗1分けとカモにされてしまう。

澤宮優『世紀の落球「戦犯」と呼ばれた男たちのその後』(中公新書ラクレ)
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一方、あの落球の後の池田の活躍は凄まじかった。

8月25日の広島戦、延長11回裏にサヨナラ本塁打を放ち、江夏の完封での17勝目をプレゼントした。さらに9月9日。9回裏、同点の2死1、2塁でヤクルト安田からサヨナラ3ランを放ち、再び江夏を勝ち投手にした。ミスの帳消しどころか、お釣りが返ってくるほどの活躍をしてみせたのだ。

「あの借りを返したね」

報道陣に試合後に問いかけられ、「それを言われると一番つらいから、懸命にやっているんですよ」と池田は笑顔で答えた。

このシーズン、阪神と巨人は最終試合までデッドヒートを続けた。

阪神は残り2試合で、10月20日の中日戦、21日の巨人戦を残していた。このどちらかに勝つか、引き分ければ優勝が決まる。

20日の中日戦、先発江夏は4回までに中日打線に3点を取られ、途中降板。阪神は2対4で敗れた。

この中日戦、池田は6番センターで出場し、4回表にセンターオーバーのタイムリー二塁打を放って一時は同点に持ち込んでいる。また、6回に2死1塁で、ライトに大飛球を放った。あわや逆転2ランかという当たりだったが、中日のライト井上弘昭がジャンプしてグラブを差し出すと、そこに打球は収まった。これがもし本塁打になっていれば池田の大殊勲であり、巨人の9連覇を止めた阪神優勝の立役者となって、彼の活躍は後々まで賞賛されたことだろう。これも、池田の野球人生の大きな岐路となるプレーだった。

殊勲打を打った池田氏と、喜びのあまりグラウンドに乱入したファン
画像=著者提供
殊勲打を打った池田氏と、喜びのあまりグラウンドに乱入したファン

翌日の巨人戦は雨で流れ、2日後の22日に甲子園球場で行われた。勝ったほうが優勝という大一番だったが、先発上田は球が走らず、2回途中までに4点を奪われ、巨人が9対0で勝って、優勝を決めた。試合後、阪神の不甲斐なさに怒ったファン1000人がグラウンドに乱入し、テレビカメラを壊すなどして20人余りが逮捕される大騒ぎとなった。