1000万円足りず会社倒産。元に戻すには3倍以上の資金が

この先、倒産が激増する可能性は高い。1社の倒産は社会にゼロではなくマイナスを生む。たとえば500万円、1000万円足りぬから潰れる店や会社は数多い。しかし、一度潰れた店や企業を元に戻すには3000万円、5000万円かけてもすぐには元の状態になど戻れない。

しかも、企業が存続できれば税金は払えるが、倒産すれば税金を払うどころか、雇用保険金の支払いや、生活保護で税金を使う一方の経営者・元社員がものすごい数で生み出されることになる。一度壊したものを元に戻すには、大変な時間とコストがかかるのだ。犯罪の増加といった世情の不安はもちろん、失業率と自殺率の密接な関係は、今さら繰り返すまでもない。ウイルスから命を守るための方策のはずが、いったい何のためにやっているのかがわからなくなってしまう。

さらに俯瞰してみると、国家や企業が今年の4~6月期の経済指標・業績の目を疑うような数字を続々と発表している。米国は4~6月期の実質国内総生産(GDP)が、年率換算でなんと前期比32.9%の減少(速報値)。1947年以降で最大の下げ幅という。ユーロ圏はそれ以上の40.3%減。需要が文字通り消滅した、という格好だ。日本では、一昨年10月から景気後退が始まっていたにもかかわらず、昨年10月に消費税を8%から10%に上げたことでさらなるダメ押し。そこへ新型コロナが……という二重苦、三重苦の様相で、同様に年率換算でGDP27.9%減と見込まれる(日本総研予測)経済活動の大ブレーキと前述の雇用状況を呼んだわけだ。

「大丈夫だ」はニュースにならない

この状況下で、さらに経済を「止める」という判断が何を呼ぶのか。幸い、今のところ政府にそうした意図は見られないが、東京都を中心に連日感染者数の増加を、都道府県知事らがこれ見よがしのボードを掲げて喧伝、それをメディアが増幅している。7月初頭以降は、メディアに登場した多くの識者が、「2週間後、1カ月後(の重症者・死者数)は、どうなるかわからない」と心配顔をするのが常だった。

が、感染者数に比べて、最も肝心な重症者数・死亡者数は、そうした大宣伝に見合った増え方をまったく見せていない。なのに、この恐れ方はいったいどうしたことか。他の疾病と比べて無視できぬ数の死者が出ない感染症なら、国家レベルで恐れたり身構えるにも程度があろう。

「大変だ、心配だ」と警鐘を鳴らすのはメディアの役割だし、視聴者・読者もつく。皆で同じことを言っていればまあ、恰好はつくし安心。語尾に「……の可能性がある」と入れておけば責任は追及されないし、結果的に大変ではなかったとしても「ああ、よかったね」で済ませることができる。逆に「大丈夫だ」は通常、ニュースにならない。仮に「大丈夫だ」と言ったのに大丈夫でなかったらみっともないし、下手をすると社内外の責任問題になる――そんな無意識の防衛本能が、報道機関の「大変だ」の大合唱につながっているのだろう。