収入やキャリアをアップさせたい——。現状に不満を抱いたサラリーマンがまず考えるのが転職だ。しかしこの転職業界も、コロナ禍の影響を受けまくりで路頭に迷う会社員が増えている。50代外資系管理職、氷愛好男(ひめよしお・仮名)さんもコロナ禍で転職活動がピタリと止まってしまったひとりだ。

5回目の転職活動に挑む50代外資系管理職

現在は外資系メーカーの管理職のポジションだが、退職に向けて有給消化中。このまま転職が決まらなければ、無職になってしまう。一般人の目から見れば、申し分のない立場に見えるが、そもそも氷愛さんはなぜ転職活動を始めたのだろうか。経歴から考察していく。

コロナ禍で転職難民となった50代外資系管理職、氷愛好男(ひめよしお・仮名)さん。
コロナ禍で転職難民となった50代外資系管理職、氷愛好男(ひめよしお・仮名)さん。

氷愛さんは1993年に大学を卒業後、上場企業の住宅資材会社へ就職した。選んだ理由は地元を離れて東京に出たかったため、上場している大企業に勤めたかったためだ。しかし配属先は埼玉県。その後、阪神大震災後の需要により、神戸へ配属された。仕事では、バブルを経験した能力のない上司の尻拭いをさせられることが多かった。加えて、東京で働きたいという本心から、最初の転職を決意。都内の広告代理店の営業職に転職した。

「営業として転職してきた身としては、早く結果を出し会社に認めてもらいたかった。試行錯誤の結果、上海の縫製工場を取引先として開拓しました」

経済成長が始まったばかりの99年の上海。工場で見た、日本とは比べものにならないほどの大きな規模とスタッフたちのバイタリティに氷愛さんはショックを受け、「日本国内だけにこだわるのはやめよう」と決意。はじめは中国語を勉強したが、ビジネス界の人口比で考えると英語のほうがいいと思い直し、米系外資のメーカー企業へ転職を志す。英語はまったく話せなかったが、自信はあった。

「代理店時代に取引していた大企業のエリート社員たちですら、マーケティングに対する知識が自分より高いと思うことは、ありませんでした。外資とはいえ、中規模メーカー企業のマーケティングを狙えば自分でもなんとかなる。英語も入社してから勉強すればいいと飛び込んでみたら、実際なんとかなりました」