「モーレツ社員」や「企業戦士」が闊歩した時代

戦後日本の企業社会というものは「昼飯を食わせてくれるところ」としてスタートしたと言ってもいい。戦争で焼け出されて帰る家を失い、食料生産も食料輸入も激減して、配給でわずかな食糧を得るだけの飢えた毎日。ハイパーインフレに低賃金政策で労働者の生活が窮乏する中で、職場は昼飯にありつける大事なライフラインだったのだ。

新型コロナウイルス感染拡大による経営危機やテレワークの拡大で、「働き方」の意識が変化している。
新型コロナウイルス感染拡大による経営危機やテレワークの拡大で、「働き方」の意識が変化している。(PIXTA=写真)

戦前は資本家と労働者の立場は、まったく違っていた。工業化社会の第一段階というのは資本家による搾取であり、大正や昭和の初めの頃の労働者は搾取される側だった。これは産業革命後のスコットランドでもアメリカでも同様であった。さらに戦争に突入すると、今度は軍が国民から搾取した。

敗戦後、深刻な食糧不足、物不足の中で立ち上がってきた会社というのは、労使で対立している余裕などなく、皆で稼いで皆で分け合う原始共産制のような組織だった。後に戦前の労使対立が持ち込まれて労働争議が頻発するようになるのだが、戦後の日本企業の多くは鍋釜を共にして、家族のように肩寄せ合って貧しさを乗り越える共同体から出発したのである。

会社の利益と自分(社員)の利益が一致しているから「我が社」のために頑張る。尽くす。これが日本のサラリーマンの会社に対する忠誠心の源泉であり、それが終身雇用、年功序列、企業別組合を「三種の神器」とする日本的経営へと昇華して高度成長の礎になった。三種の神器を染色体に染みこませた「モーレツ社員」や「企業戦士」が闊歩した時代である。