なぜ、ハチ公のお墓には今も花や折り鶴を供えられているのか

では、ハチの墓は存在しないのだろうか。

いや、ハチの墓は都立青山霊園の一角にある。上野家の墓所の入り口に犬小屋のようなかわいらしい石祠が立てられ、博士の墓に寄り添っている。それを見ただけで、ハチがいかに飼い主に忠実だったか、上野博士がいかにハチをかわいがったかが伝わってきて、心が温かくなる。

都立青山霊園にあるハチの墓(右)と上野博士の墓(左)
撮影=鵜飼秀徳
都立青山霊園にあるハチの墓(右)と上野博士の墓(左)

ハチの墓の中には遺骨は存在しないが、ホルマリン漬けされていない臓器や筋肉などが納められたという記述が残っている。ハチの墓には世界中からファンがやってきて、花や折り鶴を供える姿が見られる。一方で、飼い主の上野博士の墓のほうにはあまりお供物がないのをみると、少し寂しく感じてしまう。

人間よりもペットのほうが篤く弔われているのは、ハチの事例に限ったことではない。それはペット霊園を抱える公共霊園で見比べれば、一目瞭然である。先祖代々の墓にはモチのひとつも供えないのに、愛犬の墓の前には「ステーキ」や「尾頭付きの鯛」などをお供えして、飼い主が人目をはばからず涙を流す、といった対照的な光景は珍しくない。

それは、人間社会は核家族化などによって親族関係が分断され、希薄になってきている一方で、ペットは「かけがえのない家族」であり続けているからだろう。近い距離で心が通い合っていれば「きちんと手を合わせたい」と考えるのが、本来の日本人の供養心なのだ。

ハチ公像や剥製も、見方を変えれば「ハチの墓」といえるかもしれない。ハチの命日は、3月8日。今年は法要を行う節目ではないが、細かく言えば「86回忌」にあたる。渋谷や国立科学博物館を訪れることがあれば、そっと手を合わせていただきたいと思う。百回忌を迎えるのは2034年。その時、ハチ公前ではきっと盛大な法要が行われていることだろう。

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