ハチと博士との生活はわずか1年ほどで終わる

このところ渋谷駅前のハチ公像は、海外旅行客の聖地と化し、ハチ公像と一緒に写真を撮りたいという目的のためだけに来日する外国人観光客もいるほどだ。海外からこれほど人気を集めている理由は2009年、ハリウッドでリチャード・ギア主演の映画『HACHI 約束の犬』(『ハチ公物語』のリメイク版)が公開され、大評判を得たからだと言われている。

ちなみにリチャード・ギアは敬虔な仏教徒だ。日本人の死生観が伝わる本作品の脚本を渡された時、彼は涙を流して感動したという。

秋田犬のハチは1923(大正12)年、大館市生まれ。

当時、日本人の富裕層の間で秋田犬を飼うのが一種のステータスになっていた。渋谷区松濤地区に居を構えていた東京帝国大学農学部の上野英三郎博士もそのひとりであった。ハチは上野家にやってくると、東大へと出勤する上野博士のお供をし、渋谷駅まで送り迎えするのが日課になった。

だが、上野博士が脳溢血で急死。ハチと博士との生活はわずか1年ほどで終わる。ハチは上野家のお抱えであった代々木の植木屋に預けられ、上野家は引っ越してしまう。

なぜ「忠犬」として一躍有名犬になったのか

しかし、ハチは代々木から渋谷駅に通い詰め、主人の姿をくる日もくる日も探し続けた。その様子を不憫に思った日本犬保存会会長が朝日新聞に投書したことがきっかけで、美談になり、「忠犬」として一躍有名犬になったのだ。

ハチ公ブームは熱を帯び、生前に渋谷駅前に銅像ができた。この銅像は戦中の金属供出によって撤去され、現在のハチ公像は戦後に作られた2代目である。

上野博士の死から10年が経過した1935(昭和10)年3月8日未明。ハチは渋谷駅東口で息絶えているところを発見された。享年13歳。遺体は生前、ハチがよくたむろしていた駅の小荷物室に安置された。上野博士の妻、そして植木屋の家族らが続々、駅に駆けつけた。そして末期の水が与えられ、毛並みが整えられるなどの「死化粧」が施された。

さらに、渋谷駅舎を使って人間と同様の葬式が行われることになったのである。地元渋谷の仏教会からは導師(法会・葬儀を主になって行う僧)・伴僧(導師につき従う僧)計16人が呼ばれた。こんな盛大な葬式は、高僧の葬式でもなかなかないことだ。

ハチの死後、枕経の様子
写真提供=鵜飼秀徳
ハチの死後、枕経の様子

ハチの死が新聞などで報じられると、渋谷駅がにわかにごったがえし始める。ハチの像は花で埋め尽くされ、大好物だったチョコレート(※)などが供えられ、駅には香典、電報が続々と届くなど、著名人の葬式顔負けの、ド派手なペット葬が執り行われたのである。

※編集部註:供物となったのは当時のこと。現在、環境省は「犬、猫に与えてはいけないもの」の中に玉ねぎや鶏の骨などとともに、チョコレートをあげている。嘔吐や下痢、発熱、けいれんを起こすことがあるという。(2020年3月9日13時05分追記)