胃には大小4本の焼き鳥の串が、心臓・肺には悪性腫瘍があった

ハチの葬式は、近世における初の本格的なペット葬と言える。「ペット国葬」とも言うべきか。ちなみに一周忌は渋谷駅の銅像前で実施された。だが、話はそれだけでは終わらない。

葬儀・告別式が終わると、遺体は上野博士が勤務した東大農学部に運ばれ、病理解剖されることになった。その結果、寄生虫のフィラリアが肝臓や心臓に見つかった。また、胃には大小4本の焼き鳥の串があったという。

現在、東大弥生キャンパスの農正門を入った右側にある農学資料館に、ハチの心臓と肺がホルマリン漬けになって展示され、誰でも見ることができる。ハチの死因についてはフィラリア説、焼き鳥の串が胃に刺さったことによる事故死説など長年、さまざまな議論を呼んだ。

撮影=鵜飼秀徳
東京大学農学資料館にあるハチの臓器。左の銅像は上野博士

しかし、2011(平成23)年、東大の保存臓器をMRIで分析したところ、心臓と肺に悪性腫瘍が発見された。現在では、ガンが死因になった可能性が高いとされている。

病理解剖を終えたハチはその後、国立科学博物館に運ばれ、剥製にされることが決まった。そして6月15日に同館で開眼式が行われ、広く公開されることになった。現在も国立科学博物館にて常設展示されており、生前の凛々しいハチの姿を見ることができる。

ハチは生前、他の犬とけんかをして左耳の軟骨を痛めていた。そのため左耳だけが垂れ下がっているのが在りし日の本当の姿である。渋谷のハチ公像は左耳が垂れ下がっており、忠実に再現されていることがわかる。

剥製のほうは「秋田犬はかくあるべし」との理想の元に、ハチの左耳はピンと伸ばして整形された。

臓器はホルマリン漬けにされ、毛皮と爪は剥製にされたが、肝心の遺骨はどうなったか。実は骨格標本にされ、日本犬保存会会長の元に預けられていた。ところが1945(昭和20)年5月25日の東京大空襲で焼失してしまった。なんとも残念なことだ。