再び「九死に一生」を得た
機関兵だった私のポジションは、機械室の指示や命令を伝える伝令でした。
大型のタンクに水を入れることで潜水艦は沈下しますが、その際「ベント開けー!」と命令を伝えるのが私の役目です。重要な指示ですので切迫感をもってタイミングよく伝えなければならず、ジェスチャーを交えるなどいろいろと工夫をしました。
巨大潜水艦だったにもかかわらず、伊四〇〇の艦内は狭く、とても窮屈でした。蚕棚のようなところに居住し、「できるだけ明かりは消せ、水はあまり使うな、運動はせず息をする程度にしろ」といった具合に、水やエネルギーを節約する生活を強いられました。
戦局が悪化するなか、アメリカ海軍各部隊の集結地点になっていたウルシー環礁への出撃が決まりました。1945(昭和20)年8月のことです。この爆撃に向かったら、もう生きて帰ってはこられない、そのような覚悟での出撃です。
折悪しく台風の季節でした。私たちの潜水艦が出撃する前に偵察に出る僚艦「伊四〇一」の到着が、台風のために遅れていました。私たちは、ウルシー環礁を前に、一日待機せざるを得ませんでした。
ようやく僚艦が到着し、明日はいよいよ爆撃に出るという日のこと、1本の無線電報が届きました。天皇陛下による終戦の詔勅がなされたということでした。つまり、戦争が終わったのです。
私は、ここでまた九死に一生を得ました。
「本当に何もなくなった」広島を呆然と眺めた
日本が無条件降伏をしたことで、航空母艦並みの威力を持つ伊四〇〇型潜水艦は、すぐにアメリカ軍に接収されてしまいました。アメリカ兵たちが次々と艦内に乗り込んできて、日本の国旗が降ろされ、アメリカの国旗が掲げられました。
その後、私たちは横須賀へと連れていかれ、そこで復員ということになりました。
「とにかく広島へ帰ろう」
私は横須賀から立錐の余地もない満員の汽車に乗り込み、何度も何度も乗り継いで、広島へと向かいました。
ようやく故郷の広島に降り立った私は、目の前に広がる焼け野原を呆然と眺めていました。
「本当に、何もなくなってしまったんだな」
一つの都市を根こそぎ壊滅させた原子爆弾の威力を見せつけられるとともに、日本に突き付けられた敗戦という現実を身に染みて実感しました。