あの頃と同じように「必要な物」を売ればいい
「さて、これからどうするか」
駅前を眺めてみると、露店が並んでいます。いわゆるヤミ市です。町中は一面の焼け野原なのに、その界隈だけは人混みもあり、活気にあふれていました。
露店の間を縫うようにして歩いてみました。
本当にいろいろな物が売られていて、老若男女、大人から子どもまでが、生きるための物資を求めて訪れています。大声で話す人たち、走り回る人たち、売り物を値切る声、立ちのぼる湯気、得体の知れない食べ物の焼ける匂い……猥雑ではあるものの、それまで抑圧されていた民衆のエネルギーが満ちていました。
その光景を見ていると、私はかつてアサリやシジミを売り歩いたことを思い出しました。あのころと同じように、また人々の欲しがる物、必要な物を売ればいいのではないか。
潜水艦での戦友との会話を思い出した
そう考えていたとき、ふと、潜水艦に乗務していた折に同じ部隊にいた戦友と交わした会話を思い出しました。彼は広島県北部の三良坂出身でした。
「うちは農家じゃが、秋には柿がよおけできてのお。それを干し柿にしとるんじゃ」
そうだ。戦友の家では干し柿を作っていたんだっけ──。
ヤミ市を見ていると、誰も彼もが腹をすかしています。私もまた同じように空腹を抱えていました。ですから、食べ物を売る露店が最も多かったのです。
ただ、米や野菜を使った雑炊や、魚や肉の生鮮食品はつてがないので、すぐには手に入りません。しかし、干し柿なら手に入るかもしれないし、すぐに食べられるから売れるのではないだろうか。そう考えました。